2009年4月28日火曜日

ゴールデンウィーク

さて、今年のゴールデンウィークは12連休。ここ数年は長い旅行に行ってたけど、今年は数日の外出以外は家で過ごすことが多そうだ。特に後半は、予防接種や人間ドック、交流会の予定が入ってしまって長旅は難しそう。せめて思い出に浸ってみることに。去年のGWは、米国出張から戻ってすぐ西海岸トンボ帰りでヨセミテ&ナパへ。キャンプにはまだ寒く、雪の中で道をロストした時はあせった。Appointment onlyのワイナリーを計画的に回れたのは良かったが、買い込み過ぎて帰りの荷物が半端じゃなくなった。一昨年は、東北ドライブ&米沢8湯巡り。那須と土湯の旅館も素晴らしかったが、米沢の山奥の野湯は鄙びた感じと豪快な露天にそれぞれ特徴があり面白かった。その前年はたしか、沖縄慶良間、さらにその前もヨセミテ&ナパ、その前はコズメル(メキシコ)だった。海派から山派に転向している。春はどこも清清しくて気持ちがよくて好きなシーズンだ。長い休みなので、山に縦走に行けたらいいのだが、この時期はまだ2000m以上は雪に覆われ軽装備では行けない。南アの鳳凰三山はまだ行ったことなく甲府から臨時バスも出るようで、ひょっとしたら行くかも。
今年はブログを少しバックデートして更新する時間がありそうだ。

ブログ模様替え

MBA受験が終って、ブログを引っ越そうかと思っていたが、タイトル・レイアウトだけ模様替えして、MBA留学記として続けることにした。旧「MBA受験2009」ブログでは、受験戦術と本の感想に絞った硬派な内容だったが、新「MIT MBA留学ブログ」では、学校での学びをメインにしつつも、日々の生活や旅行などの柔らかい内容も書こうと思う。レイアウトの色使いは、MITのおみやげで買ったTシャツの色(濃い赤と青)と近い色にしてみた。
最近は、初めてお会いする方にブログ読んでますよ!と思いがけずもお声をかけていただけることも多い。ご覧いただいている皆様には、今後もお付き合いのほどよろしくお願いします。

2009年4月19日日曜日

モントレー観光

今日は終日オフ。美しい陽射しと爽やかな風が楽しめるこの時期に出かけないわけにはいかない。ナパも行きたかったが、日曜は渋いワイナリがあまり空いておらずアポも取ってないので、特に行きたいワイナリーは思い当たらなかった。サンノゼの南は一度も行ったことが無かったので、モントレーへ行くことに。朝9:00過ぎに出発して、101, 156, 1のルートで向かう。幸い道は空いていて、10:00には17 mile Driveの入り口へ着いた。ゲートで$8を払いマップをもらう。このマップは見所が順路に沿って書いてあり分かりやすかった。軽井沢のような山道を過ぎて最初のビーチに出る。Spanish Beachと呼ばれ、スペイン船が16世紀に最初に到着したのが名前の由来だそうだ。波がありサーフィン日和な様子だった。しばらく海岸線沿いに道が続き、動物が集まる岩場(何とかRock)のポイントで車を止める。シーライオンの鳴き声がかすかに聞こえるが、見渡しても近くにいる様子はない。望遠鏡を覗いている人がいたので¢25コインを入れてマネして見ると、100mほど少し離れた岩場に相当な数のシーライオンがいるではないか。肉眼でもよく目をこらしてみると、茶色の岩山に見えたものが実は動物の群れなのが分かる。

海岸線をしばらく走ると、Lone Cypressに。たしか、カリフォルニアのナンバープレートのモチーフになっている景色。もっと自然なものを想像していたが、実物はしっかり護岸工事がされていた。


そして、Pebble Beach Golf Courseに。グリーンと青い海のコントラストが絵画的な、噂にたがわぬ美しいコース。ちょうどお昼時だったので景色を楽しみながら、レストランでブランチをいただく。バフェを良い事に、オイスターの身がふっくらした粒だけ20個は食べてしまった。ボストン以来、今回はめずらしくシーフードが多い。US2010のコースガイドはまだ売ってなかったが、ロゴ入りの帽子をおみやげに購入。去年、サンディエゴでもTorrey Pine US2009の同様なグッズを確保していた。私はゴルフはしないのだけれど。

17 Mileの終点からカーメルの町並みを見て、モントレーへ。水族館に駐車場があるだろうと思って行ったら無くて、停める所がちょっと遠くなり、近くのホテルのバレーに置いてしまえば良かった。水族館は$30の高い入場料に違わず、モントレー湾の巨大ケープや、湾に野生のラッコを見つけられて、とても楽しめた。帰りは、モントレーの少し北のサンセットドライブを通り帰る。芝桜と太平洋に沈む夕陽が本当に美しかった。今回は東海岸で朝陽を浴び、西海岸で夕陽を望む、珍しい旅行になった。帰りは少し渋滞したけど、気楽な週末ドライブとしては、史上?もっとも楽しい一日になった。

2009年4月18日土曜日

MITオリエン最終日(JFK Party)

一週間に渡り続いたオリエンテーションの最終日。

朝食会があり、有名教授が何人か来られた。教授との会話はかなり楽しみにしていたが、残念ながら自分のテーブルは同級生だけで盛り上がり、話す機会に恵まれなかった。ハックス先生は、ああこの先生がそうなんだ、とたしかに短い挨拶でもお人柄が感じられ、さすが慈愛の戦略家と思った。午前中は、Adminのガイダンス。360 degree evaluationの進め方や、カリキュラム全体の日程(休暇の予定)など。同級生の質問で、金融危機にどうカリキュラムを対応させるかがあった。プログラムオフィス側の回答は、時流に配慮していくが、問題意識は個人で異なるので授業の中で積極的に提起して教授と一緒に学んでいって欲しいとのこと。これは至極妥当な回答だと私は思ったが、何度か同様な質問が繰り返されるあたり、納得していない人も多いようだった。

夜は、JFK Museumでのパーティ。1年上のクラスが主役で、1年で最大のイベントらしく、次々と出し物があり面白かった。ハックスダンスと称して、被り物して手で三角形(デルタモデル)のポーズをつけて踊るなんて、Sloan fellowsならでは。日本人他の方が、アゲアゲナイトのダンスを披露。この曲は、妻は知らなかったそうだが、私も台湾のカラオケ屋でなぜか毎度締めにこれで踊るのを見る以来で、海外ウケはいいようだ。途中のスライドで、Admission Interviewがハードだったと出ていたが、隣の韓国人も、結構ハードに絞られたとのこと。私はどうもMIT含む東海岸のエスタブリッシュメントとの付き合い方がうまくない。駐米時の元上司は、アメリカ巨大企業で最速トラック昇進中のMIT Engineering School卒の若いマネージャだった。いい人なのだが、何を言っても、シニカルに言い返される感じだった。東京でのMIT SFのProgram Directorとの面接もそんな感じで、ちゃんと質問に答えているつもりでも、「私が聞きたいのはそんなことじゃなくて・・・」とか、「君はそう言うが・・・」とバッサリ否定される。お互いプロフェッショナルな?笑顔を浮かべつつも、上司と部下の会話みたいだった。Sloan Fellowsではバックグラウンドが多様で年上の方も多くて大変だけど、自然にお付き合いして交流を深めていきたい。

サンノゼへ

朝イチのUS Airwaysでボストンからフェニックス経由でサンノゼへ。乗換え含め8時間半のフライトは長い!。HertzレンタカーはAltima Hybridだったが、ホテルへ向けて走りながらリアミラーを直そうとしたら、接着剤がゆるくミラーが落ちてしまった。これは予想外で慌てた。サンノゼのHertzはこじんまりしていて、#1 Goldだといい車を充ててくれるのは良いのだが、これで故障は2度目で相性が悪い。

ボストンの寒さが身に凍みると、北カリフォルニアの春はもうここは天国か!と叫びたくなる素晴らしさ。後で聞けば今週から85度を超えたらしく、天気予報を見るともう1週間はずっと晴れマークが続く。シリコンバレーの同僚には、Peer recommendation letterを頼んだ仲間もいて、受験状況は知らせていたが、会うなりバークレーを選ばないなんて信じられない!と大げさに突っ込まれる。「こんないい気候だと(遊んじゃって)勉強に集中できないから」と答えるが、半分本音でもある。Work and Lifeバランスで選ぶなら、断然ここ。ボストンを選んだのはStudy 100%に自分を追い込むためでもある。

着いて最初に向かうのは、お気に入りのベトナム料理屋。ここのフォーは美味しい。日本から着いた時やどんなに疲れていても、この野菜たっぷりで、牛のダシのスープは美味しく飲めるから不思議だ。Greatmallに軽く寄った後は、The Wine Clubへ。サンノゼからは空港の反対側のSanta ClaraのColeman沿いにあるこのワインショップは品揃えも多様だし、カリフォルニアものは安い。短期滞在者として知る範囲だが、Safewayの会員価格に負けず、一番安いんじゃないかと思う。週末のテイスティングをやってて、世界中のZinfandelばかりを飲み比べたのは初めて。MA(マサチューセッツ州)に送れるか聞いたら、NGだそうだ。TXなども送れないことが多いが、それは州内のワイナリーを守る規制のためと聞いた。MAなんかワイナリーがあるはずがない(あるかもしれないが)。そういえば、MAはアルコールに厳しい州と聞いたのを思い出した。州立公園など公共の屋外のBBQなどでビールが飲めないらしい。TXでは絶対にありえない。少しだけ文化の違いを実感。夜は、ホテル近くのタイ料理のテイクアウト。パッタイ、グリーンカレーと美味しい。西海岸はアジアン料理が全般に揃っている点が好き。

2009年4月17日金曜日

模擬授業(Marketing Introduction, Prof. Duncun Simester)

オリエン期間中に、模擬授業が2つ行われた。オリエンの丸一週間のうち、アカデミックセッションは半日の授業2コマだけだった。個人的には、もっとFacultyメンバの講演が開催されることを期待していたのだが。在校生のガイダンスも抽象的なお話が多く、もう少し突っ込んでどんな教授陣がいて、各人の授業での個人的な経験をもっと聞きたかったが、夜のソーシャルイベントでは聞きにくい雰囲気だった。

さて、1コマ目はマーケティングのクラス。教授は夏のコアコースを教えるProf. Duncan Simester。MBA授業の代名詞「ケーススタディ」の雰囲気を知る位置づけ。オリエン初日に比較的短く読めるケース(赤目の鶏)の宿題が出て、これを既に読んでいることを前提に、授業内で実際にディスカッションした。このシンプルなケースは、鶏用コンタクトレンズの事業化是非を論じたもの。アメリカ人のパートナでLFM'90の方から、「誰も赤目の鶏なんて知らないので、皆にフェアなんだよね」とのとおり、特定のバックグラウンドに発言者が偏らず、みんな気軽に楽しんで発言しているようだった。

よく言われるように、ケーススタディは、ノンネイティブで議論下手な日本人には特に難しいスタイルだろう。実際、私も初めて参加してみて、議論のテンポが速く、発言を考えていると、すぐ次の議論に移り何度も機会を失った。先生が何を言っているか分かっても、他の生徒の発言の論理が理解できないことが多く、繋げて議論を展開するような発言が出来ない。6月からSurviveできるか不安になった。思うに、発言のタイプが簡単な順に、(1) ケース内の答えそのまま(Fact), (2) 教授の最初の問いかけに続いて予め考えていた自分の意見 (prepared IMO)、(3) 他の生徒の発言をベースに議論を展開する意見 (discussion)がある。1と2までが、英語、論理、経験全ての面で自分の今の限界。2も自分の経験だけでは中身が薄く、スタディグループで事前に議論して、理解を深めてから授業に臨む意義を実感。

そして、授業の後半になるにつれ、ケース後のアクションの決断やWhy?が問われる。今回のケースからの学びも、この会社を売るべきか?という最後の問いへの教授の考察に集中していた。一般に商品化前のアイデア時点で会社を売るのは難しい理由は2つあり、成長予測が恣意的である点が一つ。もう一つは情報の非対称性で、アーリーステージほど売り手の創業者側に重要情報が偏在している。この例外として、バイオベンチャーが赤字のまま会社が売れるのは、創薬ステージ別にきちんとドキュメント化されTangibleな資産になっているからだそうだ。

ディスカッションの後、同級生それぞれの個性や考え方が分かる気がして、ずっと話しかけやすくなった。逆に、私の発言のジョークは受けたわねと、話しかけてくれることもあった。それまでの夜のソーシャルイベントでは、同級生と当たり障りのない大人の会話で、お互いに遠慮も感じてしまっていた。カリキュラムが始まり一緒に議論を重ねる中で、自然に同級生とも仲良くなれそうと気がだいぶ楽になった。考えてみれば、会社でもそういうものだ。

最後に先生の余談。ケースはハーバード大学が出版するものが多く使われ、学生がそれぞれWebで
$3程度で購入する。全世界で長年使われるため、その収入は結構な額になるそうだ。ハーバードの教授は良質なケースをいかに多数書くかが評価のクライテリアらしい。一方、MITの教授はリサーチ中心であり、Duncun先生もノルマはケース一本だけらしい。その代わり、調査論文やPhD学生の指導に重点が置かれている。私のリサーチ志向にマッチしていて、やっぱりSloanを選んで良かったとここで実感した。

2009年4月16日木曜日

模擬授業2 (Entrepreneurship, Prof. Ed Roberts)

2コマ目は、MITらしいアントレのレクチャー。MITスローンは日本でも有名な教授が多数いる。自身も起業に携わったりVCとのコネクションも深い、アントレのEd Roberts教授の授業だ。1コマ目のマーケティングの授業は、50人用のすり鉢教室だったが、この授業は、地下室みたいなレトロな教室で、ビジネススクールとは思えないほど。スローンは今、現代的な建物を隣の敷地に建て替えている。来年の入学生は新校舎で迎える。レトロな教室で狭い分だけ、すぐ目の前にEd Robertsが立ち、その声が教室全体に反射して自分の体全体に響く感じだ。

講義では、MIT出身の起業家による経済効果の統計分析を題材に、MITスローンの歴史を織り交ぜて面白く語ってくれた。統計として、MIT出身者が起業した会社の売上高、雇用者数は、一つの国だとすると18位程度に相当し、巨大な経済効果を創出している。この調査は、MITの経済効果を定量的にちゃんとデータの裏づけを出した点に意義があるそうだ。他の地域からMITに入学し、MAに残り起業する人も多い。アントレの活力の地域比較では、ボストン地区はサンノゼ地区に次ぐ米国2番目とのこと。この研究をしていた助手も、Stanfordに今年から移って、同様な統計調査を始めているらしい。

MITは、工学系の研究に眠る資産を活用すべく、パテントオフィスや起業支援プログラムが組織的に長年運用されている。授業前の宿題として、A123という車載バッテリのベンチャー立上げに、MITの組織的な支援等があったことが分かった。東大のアントレプラザ支援と比較して、特許ライセンス交渉を仲介する等、より直接的にビジネスに関与している印象を持った。MITのMBAでは、技術ベンチャーのケースが多く、MITを選んで良かったと再確認できた。

スローンの学生の属性も歴史の中で大きく変化した。Ed Robertsは、工学部のシステム管理学科から助手として移った50年前は、男性がほぼ100%で、電気工学科等を学部で専攻した後にMBAを取るのが大多数だったそうだ。私の属性もレガシーそのもの。以来、女性の割合を増やしており、今年のクラスの3分の1が女性。また、MITは外国人を積極的に受け入れており、政府に対して外国人向け学生ビザのロビー活動を継続的に行っているそうだ。

2009年4月14日火曜日

アパート探し

オリエンでHouse Hountingに関するガイダンスがあり、ボストンに1年間住む家探し。家探しは日系の不動産屋さんにお願いした。前回の駐米では、生活セットアップが色々面倒で仕事に差し障りが出たので、今回は生活セットアップは出来るだけラクするつもり。MIT至近, 2BR, リバービューをお願いしたが、2BRは予算の都合上、早々にあきらめた。ボストンの家賃は結構高い。家探しTipsをプレゼンした1年先輩の方は、テキサスからボストンに来たアメリカ人で、「なんて狭い部屋なんだ」「家賃表示は本当にUSドル?」とジョークを飛ばしていたが全く同感でウケた。私が申し込んだ物件も、テキサスの物件と比べて、広さ半分、値段2倍。東京都心に比べればこれでも格安ではあるが。大学時代も学校至近を選んだあたり、私のポリシのようだ。後日、帰国直後にテレビをつけると、アイドルグループのメンバ逮捕で、彼の自宅と思しきマンションが映った。あぁ、ここに住んでいたのか。彼の通勤先と思しき、赤坂(TBS)、六本木(テレ朝), 新宿(アルタ), 渋谷(NHK), 台場(フジ)のほぼ真ん中で至便。忙しい彼も自分と同じポリシかと勝手に納得した。また、風水的にボストンは山に3方を囲まれ、海と繋がるチャールズリバー沿いにエネルギーが渦巻いている感じがしたので、リバービューに拘った。これも勝手に想像しただけだが。。

2009年4月13日月曜日

MITオリエン初日(顔合わせ)

4/13~丸一週間のオリエンテーションの始まり。
名簿が事前配布され、同級生の名前と経歴は、事前にシェアされていたが、実際に会うのは初めて。きっと他の参加者も私と同様な高揚感を持って参加したのに違いない。

立食パーティの中で、Program Directorが今年のクラスのプロファイルなどを紹介。彼が書いた記事のリンクを紹介したい。
http://mitsloanfellows.com/
上にあるとおり、今年は24カ国で、去年の28カ国より少ないが、女性30%とアフリカの割合が過去最高とのこと。IMFや国際機関の偉い方もいたり、肩書きがDirector/VPクラスも多く同級生というには恐れ多い感じもある。実際、1年上のクラスの方に、来週に訪問予定のお客さんのDirectorの方がいて、組織再編のホットな情報など共有してくれて早速収穫があった。

MBAを取られた方に聞くと、授業の学びより、同級生との交流からの学びが期待以上だったと必ず言われる。
私も、この100名のfellowsと一緒に、1年間充実して過ごしたい。
・・とはいえ、名札を付けていたがさっぱり名前が覚えられなかった。ホテルに戻って名簿を見ても、記憶に残るのは韓国と中国の人ばかり。特に、ブラジルとヨーロッパの区別がつかず、前途多難だ。。

2009年4月12日日曜日

ボストン市内観光

ボストン到着日は、夕飯も軽く済ませてすぐにベッドに潜り、ぐっすり眠れた。今日は朝早く起きて観光へ。ボストン観光の目玉は、アメリカ独立の歴史をたどるフリーダムトレイルの散策だ。日本からわざわざ観光に来る人も少なくないようで、地球の歩き方「ボストン&ニューイングランド地方」編を片手に観光開始。最寄のKendall Sq. StationでT (地下鉄)の1week ticket $15を購入。丸7日間、乗り放題だから安い。今回の滞在中を通して、タクシーはホテルと空港間しか使わず、町歩きはTで全て済んだ。

フリーダムトレイルは、TのRed line Park St.を降りてボストンコモンからスタートして、州議事堂、ビーコンヒル方面に続く。ずっと歩くつもりだったが、あまりの寒さに早々にスタバに逃げ込む。風が強いせいか体感気温は5度くらい。外歩きはもう無理と判断して、今度はT. Gov. St.からGreen Lineでボストン美術館へ。世界4大美術館として知られるが、ミイラあり彫像ありと、まさにミニ大英博物館。日本の快慶・運慶の作なるものが展示されていたが、本物なのだろうか?(解説には、米国持出し後に作者が判明したので、門外不出の国宝が流出したと書いているが真贋はいかに?)。岡倉天心ゆかりの庭があったが、手入れが大雑把。京都の東寺の庭どころか、上野の国立公園の庭のイメージとも遠く、実家の庭みたい。

ボストン美術館をじっくり見学した後、またGreen lineでCopley Sq.に戻る。コープリ広場周辺で買い物を予定したが、イースターのせいで全部閉まっている。イースターって3月じゃなかったかな?駐米時代は会社にいる時間が長く、会社のポリシで宗教祝日は休暇でなかったので、イースタはあまり気にしたことがなかった。買い物が空振りに終わったので、ここならやっているだろうと、クインシーマーケットへ。出し物や出店風の屋内店が並ぶ。Skype英語の先生が一押ししてた"Boston Clam Chowder"という店を発見して軽く食べる。フードコートが混んでて落ち着けないが、味はなかなかだった。私の店のチョイスが悪いせいか、サンフランのフィッシャーズマンズワーフのクラムチャウダーはどこも塩がきついのが多かった。チャウダー食比べをしてみよう。

頑張って水族館まで足を伸ばし、最後にチャイナタウンへ。ここはサンフランのミニ版か。飯店から床屋まで雑多に並んでいる。お店は中国語が通じる。普通に中国語で話しかけられるが北京語のようだった。ガイドブックお勧めの海老ワンタンを食べた。ワンタンは海老が美味しいが、スープのだしがいまいち。小吃サイズ(小さいドンブリ)で、ガイドブックにはみんな海老ワンタンを頼んでると書いてあったが、鍋を食べてる人が多かった。見た感じ、土鍋あんかけ飯か?。チャーハンは食べきれず夜食用に打包して、ようやくホテルに戻る。TのOrange Lineは危ないから乗るなという人もいたが、私の感覚では大丈夫だった。チャイナタウンはまた食べに来よう。今日は歩きまくって本当に疲れたが、ボストンの見所を大急ぎでほぼ制覇できた。

ボストンチャイナタウン香港小食の海老ワンタンはこちら。

2009年4月11日土曜日

Boston へ

MIT Sloan FellowsのApril Orientationが4/13~17の1週間、開催されるのに合わせて、初めてボストンに飛ぶことになった。フライトチケットが日曜INは高いのしか空いてなかったので、土曜INにした。ちなみに、私はJAL派。会社ではANA派が断然多く、ANAの方がビジネスのサービスは良いと聞く。中国・台湾便はANAがずっと便利そうだ。JAL派を続ける理由は、インフラ系は何となく旧国営企業系が良さそうという思い込みの印象と、10年前のバリ旅行で若気の至りで機中で飲み過ぎて、あわや経由地で強制下車になりそうなところをJALが助けてくれたから。以来、JAL系に軽く100回は乗っているだろうから、もう義理は返したような気もするが。
ボストンへのフライトの経由地は色々ありそうなので、職場の同僚に聞いてみた。私の職場は、見渡す範囲だけでMIT帰りが4人もいて、この手の生活情報には事欠かない。聞くと、ANA派はワシントンDC経由(空港が小さく乗換えラク)で決まり。JAL派はNYかシカゴ(オヘア)。NYは乗換便がシャトル便のせいか荷物の到着が遅れが頻発する(らしい)のが難点で、シカゴ便は乗換え時のターミナルが遠いのが難点。今回は、NY便の乗換便が満席だったので、シカゴ乗換えにした。長いフライトで半分寝ぼけた状態でシカゴに着き、AAラウンジに入るためチケットを見せると、あなたのフライトはキャンセルされたわよ、と言われる。実は、出国前の時点では、そういうこともあるだろうと予期して、もし遅れた時は遅い夜便に変更して、空港を出てWaitlistのシカゴをビジットしてみようと内心、目論んでいた。が、現実には疲労と眠気が優先して、一番早い便への変更をリクエストしてしまった。ラウンジで3時間くらいボーっと過ごす羽目に。ボストンのLogan空港には、予定より2時間遅れで夕方5時過ぎの到着になった。今回の宿はKendall Hotel. やはり、東海岸は遠いと実感。

2009年4月1日水曜日

F1ビザ大使館面接(3/27)

3/27の朝一番のスロット(8:15)に米国大使館の面接予約を入れていた。結構並ぶらしいと聞いていたが、面接時間に到着した時には誰も並んでおらず、あっさり施設内に入れた。書類を入り口の係りの方に預けて、待合室に入ると中には結構人が待っていた。順番に名前が呼ばれて指紋を取ったあとで面接が始まる。先に待っている人には申し訳なかったが、学生ビザは手続きが簡単なせいか、数人目に名前が呼ばれて面接を受けて、無事に仮決定をもらえた。大使館隣のオークラでフレンチトーストを朝食にいただく。これは有名らしく、滑らかな食感でとても美味しかったので、これから面接を受ける方にもお勧めしたい。8:15に着き9:00過ぎに大使館を出た時には、入り口に少し列が出来ていた。朝イチの面接時間がお勧めのようだ。
金曜の面接の後、土日を挟んで、火曜には自宅にパスポートが届いた。前に就労ビザを取得した時は、当時は面接が無かったものの、信じられないようなすったもんだもあって苦労したイメージがあったが、今回の学生ビザは拍子抜けするほどすんなりと取れた。