2010年6月4日金曜日

MIT Commencement

MITの卒業式。幸いお天気にも恵まれ、Great Dome前の芝生に卒業生とその家族が集まる。伝統に則り、全5学部のDoctorからBachelorまで、学位ごとにローブや帽子のデザインが異なっている。Engineering系のPh.DのローブはMITの赤の模様が入った色鮮やかなもので、MBAのローブは黒く地味だった。同級生いわく、Sloan Fellowsは学費が一番高いのだからもっとデザインを工夫すべきだというSFらしい冗談も聞かれた。学長やゲストスピーカ(MIT卒業生でAnalog Devices創業者のStata氏)の話に続いて、一人づつ学位が授与される。Sloan Fellowsの番になった途端、クラス全員から歓声が上がり、いい年をして一番騒がしかったのもSFらしかった。Faculty Clubのランチでは、みんな家族とともにお互いの卒業を祝うとともに、別れを名残惜しそうにしていた。卒業にあたり両親を含む家族の温かい理解とサポートに感謝している。
私にとってMBAは、職業人を始める頃から、仕事で成果を上げて会社派遣で行こうという一つの目標だった。転職する紆余曲折もあって随分と遅くなったが、幸運にも最高の形で達成した。一つ目標が叶えば、次の目標を立てなくてはならない。アメリカでは、卒業式はCommencement、始まり。MITでの1年は、自分の本当の情熱を見つめ直して、My Own Inner Compassを探る機会でもあった。まだはっきりとした目標になっていないが、やっと向かう方向性が見えてきた。気づけばもっと早く始めておけば良かったことも多いが、何事も始めるに遅きは無し、と信じて挑戦を続けたい。

2010年6月2日水曜日

Transition to SF11

F10 vs SF11のサッカー対抗戦に参戦。昨年のSF09との対決は、どちらが勝ったか覚えていないが、今回はBrazil勢の多いSF11の圧勝だった。1年間の運動不足と飲み会続きがたたってか、足がぜんぜん動かず30分もたなかった。夜は、SF11の日本人の皆様がBBQ追いコンを開いて下さった。子供達が元気いっぱい走り回っており、少子化とは思えないほど。さらに、翌日のMuddy ChalesでのSF10,11合同飲み会と続いた。Sloan Fellows恒例イベントがSF11にも続いていくんだなと思うと、ちょっと嬉しくなった。SF11もお会いした方だけでも相当多彩なバックグラウンドに恵まれ、またいい年になりそうだ。

2010年5月27日木曜日

Brazil (4日目)

ブラジル最終日は、ブラジル最大の富豪で個人資産3兆円を誇るEike Batista氏の講演だった。同氏の保有する客船での講演。金鉱山をあてた後、港湾インフラ開発やオフショア石油採掘の事業を次々と立ち上げている。石油はまだ出ていないそうだが、韓国や中国企業と資本・技術提携したり、なかなか大胆に開発事業を進めている印象をもった。同氏によると、ブラジルのインフラは1960年代のアメリカと同じ段階で、至るところに非効率さが残っており、そこに海外から技術導入して解決する事業機会が豊富にあるという考えだった。これは同国での短い滞在でも色々実感できた。ロジスティック一つとっても、交通渋滞がひどいというハード面だけでなく、現地ツアー会社のアレンジがいい加減だったりソフト面の問題も多かった。また、帰りの空港にも、レストランが1箇所しかないのに加え、国際線の到着便と出発便の乗客が入れ違うというオペレーションにも驚かされた。ラテン的な陽気ないい国であるが、海外の技術や経営ノウハウを活用して、その潜在的な経済力を発揮するには相当の時間がかかりそうである。

2010年5月26日水曜日

Brazil (3日目)

サンパウロからリオデジャネイロへの移動日。広大な平原に面的に住宅が続くサンパウロと対照的に、リオは港湾の周囲に聳える山々を縫うようにビルや住宅がひしめき合う印象だ。リオ市長の講演が目玉であったが、キャンセルされてしまい、午後は観光になった。リオといえばキリスト像のあるコルコバードが有名だが、改修中でしかも当日に発生したストライキで丘の上まで上がる交通手段が無くなってしまった。もう一つの観光地であるSugar Loafをゴンドラで登った。山頂からは市内を一望でき香港の景色と少し似ていた。バスガイドが、日本のバスツアーのような観光案内で、ボサノバで有名な「イパネマの娘」まで歌ってくれた。宿泊するホテルはイパネマビーチ沿いで、冬のため波は荒くビーチに人は少なかったが、暖かければのんびりできそうな良い所だった。International Trip最後の夜は、近代美術館でパーティ。もうパーティは何度やったかしれないが今回が最後で、卒業式に参加せずに帰国する同級生と別れを惜しんでいた。

2010年5月25日火曜日

Brazil (2日目)

サンパウロでの講演2日目は、3つのセッションが続く。1人目は、各種官庁の大臣を含む要職を歴任し、現在はブラジル最大の食糧企業のボードメンバを務めるPraini de Moraes氏。広大な国土を誇るブラジルでも、耕作可能地帯は7.5%ほどと少なく、今後増大する途上国向け食肉等の輸出市場の機会と課題を色々な数字を用いて紹介していた。食糧生産には、土地、水、太陽、資本、技術、そして起業家精神が不可欠とかで、ブラジルの農業の強みはそれら全てが揃っていることで、アフリカや潜在的競合となる他地域にはその幾つかが欠けているとの解説は分かりやすかった。講演後に中国への食肉輸出に関する2国間の通商問題について個人的に質問できる機会があったが、丁寧に解説していただいた。
2人目は、ビールメーカのAmbevの現役CEOだった。米国でMBAを取得し、M&Aを前線指揮して会社を大きく育てただけあり、マクロ的な市場環境と経営目標の中で、自社ブランドのポートフォリオを効果的にアピールしていた。消費財メーカらしくサッカーをモチーフにした広告ビデオも面白かった。
3人目は、国内第3位の商業銀行であるSantader銀行の現役CEO。SF10にも同社から一人、スポンサーで来ている他、ブラジル最大の銀行からも一人来ている。ABN Amro買収の話を含め同国の金融市場の具体的なコンテキストが聞けるかと期待していたが、講演はSustainabilityについてリーダシップ論的でやや概念的だった。最後の教訓はHave funと纏めるあたりはブラジルらしかった。同社の本社ビルは、LEED認証のグリーンビルとのことだったが、ブラジルまで来てわざわざ見学する機会があるとは思わなかった。自社へ人を迎える機会があったら、聴衆側の何を見たいかという期待によく配慮したいと思った。

2010年5月24日月曜日

Brazil (1日目)

Brazil企業訪問の1社目は、航空機メーカのエンブラエル(Embraer)。カナダのボンバルディア(Bombardier)とのWTO紛争パネルのケースを、コア授業のGlobal Econで扱ったこともあり、Fellowsの関心も高かった。経営幹部が数人そろって同社の経営状況、特に金融危機後の大幅な受注減にあわせた従業員削減の後、中型機で受注残が回復している点などを説明していた。Q&Aの応対を見る限り、国策企業らしい鷹揚な経営スタイルに感じた。韓国や中国の国産計画には興味を持っているようだったが、日本については特にコメントがなかった。ライン見学の最中に、何人かのFellowsから、なぜ日本は技術力があるのに航空機事業は成功できないのか、私に聞かれたが答えが出なかった。エンジンなど主要部品を海外メーカに握られ、すり合わせ型アーキテクチャでコモディティ化を計る、日本メーカの勝ちパターンが通用せず、ニーズにあわせた商品企画と販売力で勝負するしかない。かつてのYS11に続く、最近の経産省が助成する国産化事業も海外では認知度が高くないのは残念だが、真にグローバルな競争力をつけて生き残っていってほしい。
午後は、高原の避暑地に移動して、Ricardo Semler氏の広大な自宅を訪れる。ブラジルは資産家ファミリー企業を出身企業としてコモディティで成功するパターンが多いが、同氏もSemcoの元CEOでBiofuelで巨額の富を築いた。マネジメント関係の講演や著書で知られるカリスマ経営者でもあり、講演の内容も人生論に係る部分はかなり宗教的なアプローチで独特なものだった。人を基本にする経営スタイルだが、例えば採用プロセスは直感に頼るものとされており、Fellowsの中でも起業家を目指す人には評価が高かった一方で、大企業出身者にはやや非現実的な印象を持たれた。氏のご自宅は、見晴らしと風通しのよい高原の自然を活かした設計で、リビングの内装もベーシックカラーでシックに纏まっており、ドイツかスイス風の趣味の良さを感じさせた。

2010年5月22日土曜日

Brazil到着

ヨハネスブルグを発ち、大西洋を渡る10時間のフライトで、サンパウロに到着。交通渋滞がひどいと聞いていたが、日曜のためかさほどの混雑もなく、同市内のホテルに到着した。外出に不自由したヨハネスブルグと違い、サンパウロはホテル周辺を歩いてレストランを探すこともできるし、地下鉄も治安上の問題はないようだ。移動の自由を満喫できた一方で、言葉は英語が全く通じなくて至るところで難儀した。レストランのメニューも読めなくて、適当にランチセットを頼むしかないこともあったほど。初日の夜は、L-Labでサンパウロに3週間滞在した同級生の勧めで日本食レストランへ歩いて向かった。街のあちこちに日本語の姓と思われる店名の看板があり、特にサンパウロ周辺は日系移民が多い地域らしく、国全体で人口の1%近くを占めるほど。サンパウロ市周辺は観光資源はなく、オフ日は地元のマーケットを訪れる市内観光に参加した。

2010年5月21日金曜日

South Africa (4日目)

4日目は、朝から4つのセッションが続く。鉱山労働者の労働組合のリーダは、労働者の実態が政府統計ではいかに都合よく紹介されているかは指摘したうえで、実態としては30%を超える失業率の中で失業者の大半が黒人でしかも若者である点を問題としていた。組合リーダらしく、政府との交渉でも一歩も引かない力強さと論理的な説明力はなかなかのものだった。次に、来月開催のFIFAの運営体は、COOが来れない代理スピーカだったためもあり、好調なチケット売行きやスタジアムの準備状況など、やや表面的な紹介だった。続いて、通信事業者の社長は、途上国特有のモバイル主体の通信事情を紹介した。最後は、経済企画委員会の大臣が講演した。大臣の講演は、統計資料を基に財政、産業、教育と多面的な視点で同国の経済目標を示され、南アフリカのセッションを締めくくった。
講演後は、アフリカンマーケットで、アフリカ彫刻やみやげ物のショッピングを楽しんだ後、Moyo Lake Zooのレストランで南アフリカ最後の夜を祝うパーティだった。南アフリカに1週間滞在して、集中的に色々なリーダの講演を聞いて、ぼやけたアフリカ一般のイメージから、国としての色々な課題が有機的に結ぶ姿になったものの、国の現実的な実感は確とは得られなかった。能動的に、仕事で人に会ったわけでもなく、自分で手配して地図を片手に街中を歩いたわけでもないし、やはり慣れ親しんだアジアや米国とは根本的に違うためだろう。また仕事で南アフリカを訪問できる機会があるか分からないが、サハラ以南のアフリカとしては間違いなく成長著しい経済拠点であり、同国でお世話になった方々のためにも、今回の研修旅行で培った経験をぜひ役立てて恩返ししたい。

2010年5月20日木曜日

South Africa (3日目)

3日目は、Innovationパネルから。起業家支援センターがあり、Sky Car (空飛ぶ車)や、戦争地域用の義足を紹介するベンチャーもあり、技術自体は先進国と大差ないが、地域のニーズに応えたビジネスチャンスを狙っている。次は、Energy&Miningセッション。南アフリカはMining(鉱業)の産業比率は8%と高く、Energyの15%と合わせて主要産業になっている。大統領府の電力規制委員会のメンバーが講演した。同国は現在、世界でもっとも安く電力を生産でき周辺国に輸出しているが、大半を石炭に頼る発電事情を抱え、急激な電力ニーズの増大が予想されている。2028年までに2倍,50GW相当と言われるニーズを、どのようなエネルギーMixで構成すべきか(Coal/Nuclear/Alternative)、質問が多かった。私も講演後に、原子力政策の推進に向けた政治環境について質問したところ、国内にウラン鉱山を持つメリットがありながらも、核兵器保持計画を放棄した現在では、政治的な推進者はいなくなった。民間による経済性ベースの判断になるが、原子力発電は同国にとって高コストと見られているとのこと。同等規模のニーズがありながらも、中央政府の権限が強いベトナムなどとは事情が異なる印象を持った。また、同じく今でも石炭発電に頼る中国と比較しても、都市の空気汚染問題がさほど深刻化しておらず、GHG削減の環境面のプレッシャーもないため、これからしばらくも石炭発電に頼りそうだ。
午後は、アパルトヘイト博物館へ。19世紀後半のゴールドラッシュで突如、都市が誕生した歴史のビデオに続き、人種隔離政策の実態とそれを克服したマンデラ大統領の偉業を称える写真・映像展示を見学する。その後、実際の黒人居住区(Township)を訪れて、生活の様子を見学した。文字通り、生活区を強制的に隔離する現実に直面すると、人種問題が今でも社会経済のさまざまな面で影響しているルーツを実感させられる。

2010年5月19日水曜日

South Africa (2日目)

2日目は、ジャーナリストパネルから。現職大統領への批判を含む政治的な表現の自由が認められている点が何度か強調された。お隣のジンバブエなどでは考えられないことで、民主主義の基本ではあるが、いつ隣国から騒乱が飛び火しないとも限らない政治情勢の中でも、正しい情報の報道が国民にむしろ冷静さを生むようだ。次のClem Sunter氏は、ベストセラーを幾つか出している作家らしく、色々な国を皮肉るユーモアを交えながら、シナリオプランニングの活用例を紹介した。シナリオプランニングは、もとは軍事向けの応用で、仮想敵国の行動を予想した幾つかのシナリオを元にシミュレーション演習を重ねることで、緊急時の作戦運用や、長期的な兵器整備を計画するためのもの。ビジネス向けに応用されているが、あまり流行らないようだ。おそらく、現実のビジネスは複雑すぎるためで、パラメータを最大でも2個にせよとの氏のアドバイスだった。最後は、アフリカ最大の同国の証券取引市場のトップと、同じく最大の商業銀行のトップが並ぶ金融パネルだった。同国の金融サービスの洗練度の高さを強調していた。
終日セッションは隣接のホテル内で行われた。ヨハネスブルクは治安が悪いことで知られ、さすがに誰もホテルとその隣接するショッピングモールの敷地内(セキュリティスタッフがぞろぞろいて、敷地出入り口には武装警官が配備されている)から出ようとせず、レストランもバーも外国人向けにそろっているのだが、少し息が詰まるようだ。敷地中にいると、外見はアメリカにいるのと変わらない。ということもあり、全員でバス移動する文化イベントが夜は用意されており、Umojaのショーを見に行く。リズムに乗った民族ダンスに加えて、現代ミュージカル風に仕立ててあり面白かった。ロンドンや色々なところに出張講演しているほど有名なショーらしい。

2010年5月18日火曜日

South Africa (1日目)

最初の講演は、同国の経済政策を取り仕切った前大臣の予定だったが、大統領府に呼ばれたとかで講演者都合でキャンセルされた。南アフリカの日程は、出発直前まで明らかにされず混乱ぶりが伺われたが、到着後も講演者のキャンセル・変更や時間変更が多く、当日までバタバタしていた。大物の講演者を集めているためと、お国事情もあり仕方がない。ヨハネスブルク方面に戻って、政治都市Pretoriaからの車窓ツアー。この都市には、裁判所や主要な役所があり、周辺には古い高層アパートも並ぶも、白人が出て行ってしまった結果、ゴーストタウンに近い建物も少なくなく、やや緊張させられる。同市中央の広場も、アパルトヘイト中は白人の憩いの場だったそうだが、今はほとんどがが黒人ばかりである。ちなみに、Politically correctが徹底されるアメリカと違い、White, Blackと直接的に呼称することが慣例になっており、日本語でも同様に記載することにした。
次のスピーカは、SA Reserve Bank(中央銀行)総裁のGill Marcus女史。私のチームがホスト役だったが、対面して挨拶すると感じの良い方でありながら、講演とQ&Aセッションでは威風堂々としており、同国のマクロ的な経済事情を彼女のスタッフ達も交えながら、明快に解説してくれた。金融危機の影響も小さく、近年は通貨ランドも為替レートも比較的安定しており、一見、経済運営が好調のようだが、総量的なマクロ指標では見えにくい、質的な問題が山積している。まず、途上国と先進国の間の中発展国でありながら、経済格差が極端に大きい。端的に言えば、ごく一部の白人資産家と、大多数の黒人に分断されている。また、ジンバブエやモザンビークなど政情不安定な周辺国から大量の不法移民が流入し、人口の実態は統計値と大きくかけ離れている。さらに、年齢構成も10-30台が多く若いため、教育の改善が追いついていない。これが高い失業率に治安の悪さ、高いHIV率と負のループに陥り、国民の幸福度は、インド人の同級生をして、インドよりも悪いんじゃないかと言わしめるほどである。

2010年5月17日月曜日

South Africa 到着

ボストンを早朝に出発して、NYCまで4時間のバス旅を経て、さらに15時間のフライトでヨハネスブルクに到着。初めて訪問する国では、私はいつも走っている車を眺めて経済情勢を想像している。現地生産するトヨタや日本車が多いのはどこの国でも共通として、目だったのは小型車(1000-1500ccクラス)の割合が多く、さらにハッチバックタイプが多い。おそらく購買層が小型車にボリュームゾーンがあるためと、車が商用だったり生活の必要性によるものだろう。
到着日は長旅の疲れもあったが、野生動物の宝庫であるPilanesberg National Parkで、そのままサファリツアーに参加する。低木の草原がなだらかな丘に沿って広がる。野生のアフリカ象や、シマウマや鹿、ムース類の群れに加えて、サイの親子を見つけたりと、多くの草食動物が生息している。南アフリカは、観光に力を入れており、このNational Parkに隣接して、Sun Cityというラスベガス風の観光施設もあり、Gary Playerが設計した美しいゴルフコース(Lost City)もあるようだ。続くオフ日の夜はBoma BBQというイベントで、外でファイヤースペースを囲んで肉を食べる。これからも南アフリカ滞在中は、肉料理が続くことになる。

2010年5月14日金曜日

International Trip

Sloan Fellowsは、3つの全員参加の研修旅行が必修になっていて、費用もTuitionに含まれている。秋学期末のNYC Trip、春学期中間休みのCalifornia Tripは、毎年開催地が固定されているが、International Tripは毎年変わり10月,11月頃に行き先が発表される。昨年はインド&トルコだったが、今年は南アフリカ&ブラジルを、5/15-28の2週間かけて訪問する。両国とも日本からはもっとも遠い大陸・国を訪問できるいい機会になりそうだ。1年で色々詰まった忙しいSloan Fellowsプログラムらしく、旅行中の日程もとてもタイト。各界のリーダの講演を聞いたり、歴史博物館見学などの文化イベントがある他、夜な夜なDinnerパーティが開催され、卒業前にクラスメートと濃密な時間を過ごせるように工夫されている。

2010年5月11日火曜日

Redsox観戦

今日はRed Soxの試合を見に、Fenway Parkへ。少し寒かったが、松坂が先発して好投して、岡島が最後に締める最高の試合だった。私は隠れヤンキースファンだったのだが、ボストンの人はRed Soxが本当に好きで、話を合わせたり一緒にお決まりの応援歌を何度か歌うにつれて、何となくRed Soxファンになってきた。日本のMLB中継でも、ヤンキースから松井が抜けた影響は大きそうだ。一緒に観戦した台湾人も同じようで、王健民が今年は不調でこのまま引退したら、ヤンキースファンはかなり減るだろうとのこと。

15.977 Investment Management

15.977 Investment Managementは、MFS Investment元CEOでSloan卒業生のJeffrey L Shames教授が教える。MFSは、戦前からあるMutual Fundで、自社アナリストによる独自のファンダメンタル分析を武器に、世界中に投資している。何度かクラスに聴講に行く機会があった。今日のゲストスピーカは、Goldman Sachsのポートフォリオマネージャを経て、ヘッジファンドを創業した人。お手本にするハーバード大学基金(HMC)の実績をヒストリカルデータを使って解説していた。HMCは、金融危機で大きな損失(30%ロス)を出して、同様な運用スタイルを採るシンガポールのSWFなどにも否定的な見方も出ている。これまで色々な機会でHFの話を聞いたが、最初の頃こそヒストリカルデータと言われると簡単に信じてしまったが、行動ファイナンスや統計的な見方を学び、今では意図的なデータ操作をかなり読み取れるようになった。こうなると何を信じて投資すればよいか疑心暗鬼になるが、教授が個人投資家向けの3つのアドバイスとして話した内容が面白かった。何度か聞いたような話だが、投資の基本が詰っている。まず、投資へ回す金額は、ロスしても気にせず眠れる程度にすること。すなわち、バリュー投資は、一喜一憂して下手に動かず長期間で同じ投資スタイルを維持することが大切なので、それが精神的に可能な範囲で投資すること。次に、リスク許容度。人によって許容度は違い、例えば、生涯リターンを考慮して100-(年齢)のパーセントをリスク資産へ投資する。20歳の青年なら株式:債券=80:20で、80歳の老人なら20:80になる。最後に、簡単にできる分散投資はFree Lunchだからやらないのは損。ハイテク銘柄ばかり買えば、個々は優良企業でも、業界全体のリスクをまともに受けることになる。この3つが出来れば、手数料を払ってまでして投資信託などでベターオフできる機会は少ないと言える。

2010年5月7日金曜日

15.268 Choice Points (Final class)

Sloan Fellows向け選択科目Choice Pointsの最終講義。イプセンの「人形の家」をテーマに、個人や家族とコミュニティの価値観を話しあう。妻の夫からの自立がテーマだったこともあり、いつものようにパートナが積極的に発言するクラスだった。HBSでは、クラスを見学に来たパートナや両親を、スタンディングオベーションで迎え、通常のゲスト以上に歓迎される。一方、MITでは親族の見学はほぼ無く、Choice Pointsだけは例外的に、パートナが毎回参加して子供連れで来ることもある珍しいクラス。我が家も、産まれて2週間になる長女を連れて出席した。将来、ものごころが付いたときに、初めて出席したクラスがMITだったと子供が聞けば、少し世界観も広がるかなと期待している。
夕方は、台湾人のクラスメートのご自宅にお邪魔し、産後の快復に良いとされる麻油鶏をいただく。1年で色々な国の家族を招待したり招かれたりして、ミッドキャリアプログラムらしい家族づきあいを楽しめた。

2010年5月6日木曜日

15.665 Power & Negotiation (Final Presen)

Power & Negotiationのチーム発表会。ペーパで学んだ成果を、クラスに向けてレクチャーするというもので、各チームとも工夫を凝らしたロールプレイを楽しくやっていた。MBAのクラスは本当にロールプレイが大好きなようで、みんな役になりきっている。イランの米国大使館人質事件の交渉を模擬したチームは、衣装から照明まで凝って、人質役のエクストラまでどこからか用意してきて、もはや演劇の域に達していた。私のチームも、当日の朝7:30からミーティングして小道具を調達する力の入れようで、US Healthcare Reformの交渉を、民主党と共和党役に分かれてコミカルに演じた。

2010年5月5日水曜日

15.371 i-Teams (final paper)

15.371 i-TeamsのFaculty向け報告会。チームごとにFiona Murray教授他から40分ずつフィードバックセッションを受ける。私の分担は、要素技術の強み・弱みに基づいて、狙うべきアプリケーションを分析した部分だった。Fionaからは、プレゼンの流れについて細かく色々コメントがあった。彼女のアプローチは、シリコンバレー的なピッチスタイルとは違い、起業の成功確率を上げるロジックをシステム化したもので、大企業の中で数多くのプロジェクトをハンドルする視点と似ている。プロジェクトは医療分野がターゲットで、病名などの英語の専門用語や米国特有の複雑な保険システムに手を焼いたが、新技術に対する医者の反応など新鮮な学びがあった。

2010年5月4日火曜日

15.913/915 Sustainability Lab (S-Lab)

サンフランシスコのリサイクル企業をホストとするS-Lab。今週から来週まで、プレゼン、ペーパ、ポスターセッションと成果発表が続く。3材料(プラスティック、紙、石膏ボード)のリサイクル率を上げるために、各材料のライフサイクル分析と市場分析を踏まえて施策を提案した。
S-Labは、他のプロジェクト授業と比較して、半期6週間しかなく短い。業界レポートを読み専門家のインタビューを設定して、ようやく業界動向にリアリティを感じ始めたところで終わってしまった感がある。それでも最後には、Facultyとホスト企業が納得できる成果になったのは、都市計画工学科のチームメートがThesisが忙しいからと途中でDropして、3人チームになった分、一人1材料を引き受けてコミットは強かったからだろう。
担当した紙のリサイクルは、学期中にJ. Stermanがシステムダイナミクスで描いた環境問題の縮図のようだった。森林資源の希少化が進む中、中国など経済成長による需要拡大に応える為、古紙再利用の政策や化学工業の技術進歩でサスティナビリティを目指す努力が続けられていた。紙の製造には、木材と水を大量に消費する。Paper calculatorというWebサイトによると、A4で500枚(10kg)の紙の製造には、30kgの木材と800Lの廃水を要するというから驚きだ。

2010年4月30日金曜日

15.617 Business Law (Final exam)

Business LawのFinal Exam。Business Lawの授業は、学期の前半は教授の講義メモと判例ケースでTake awayが明確だった。後半はゲストスピーカが続き、Bankrupt, Trade Secretなど各テーマの専門家が実例に即しており、興味深い話もある。ただ、Readingの宿題がなく、講義のアウトラインもないと、話の流れをフォローするのが難しいこともあった。逆に、Finance系のバックグラウンドがない人も想定しているため、CDSの仕組み等の一般的な話が長く続いて、多くの学生が明らかに退屈していたこともあった。Distress Investmentの戦術とその法律の講義の回は、聞き応えがあった。春学期に入って、HBSのVCPEの授業は結局履修できず、PEの分厚い教科書(ケース集と解説)を手元においててあったものの、なかなか読み進まず、卒業まで時間切れになりそうだ。

2010年4月29日木曜日

Heifetz講演

今週から来週にかけてプロジェクトもののレポート締切りが続く。今日が一番の山場で、HBS DBICのファイナルペーパ(中国EV市場)と、Power&Negotiationのグループペーパ(Healthcare reform)の締切り。ElectiveはMBAと極力組んでいたが、P&Nは仲間うちのSFメンバだったので話しやすく、私が作業できない期間もフォローしてくれ助けられた。残りのTo Do Listの大物は、明日のBusiness LawのExamと、来週のS-Lab, i-Teamsのプレゼンとレポートを残すのみで、いよいよ卒業が見えてきた。
今日の特別講演は、リーダシップで有名なケネディスクールのHeifetz教授。1月にケネディの授業を取った夏学期のチームメートが直接段取りして、ハイフェッツ教授をMITに招いた。なんでも、MITでPh.Dを取ったときに、若きJohn Stermanと一緒にシステムダイナミクスを学んで以来、MITでは講演する機会が一度も無かったとか。教授は、ケネディ創立以来、28年間教え続けており、破天荒な講義スタイルで知られるが、講演はよく纏まって内容も濃かった。そのコンセプトは和訳本にもあるとおりだが、ドイツ(EU)のギリシャ救済など時事問題に話題を広げながら、実践的に分かりやすく解説していた。MITで教えるPeter SengeやJohn VanがDistributed Leadership寄りの一方で、ハイフェッツはAuthorityにどう向き合うかをまず論じていて、Public Serviceを扱うケネディらしい印象を持った。Adaptive Workとして、組織がいつの間にか現実を目標にすり替えて現状追認する傾向が指摘されていた点は、はっと気づかされた。目標をまず定義した上で、問題を正しく診断するタイプの人間は少なく、実際にその難しさは、仕事でもキャリアプランでも感じさせられる。

2010年4月28日水曜日

15.371 i-Teams (infant monitoring)

i-Teamsのプロジェクトは、ある要素技術を元に、色々なアプリケーションの可能性を調査している。そのひとつが、Infant Monitoring. 遠隔カメラとモニタの$100しない家庭用セットが、アメリカでは結構売れている。欧米には、新生児のうちから両親と寝室を分けることで、子供を早く自立させる伝統があり、子供の寝室をリモートモニタリングしたいという日本にはないニーズがある。イギリス出身の教授も、5歳の時には家もすでに両親と離れていたとのことで、上流階級は寄宿制学校に入れる慣わしなのだろう。夜に子供の様子が心配で、その寝室を親がわざわざ鍵穴から覗くなんていう話まであるくらいだ。このような単純なモニタリングやそれへの認識技術の応用の最大のライバルは、人間による観察。子供が泣いている理由は、高度な認識技術で判定しなくても、親なら習慣的な勘で分かってしまう。欧米のInfant Monitoringは、生活文化の特殊性がニッチなリモートモニタリングの市場を生み出した例だ。
もう一つ、Infant Monitoringの例はセキュリティ。アメリカの病院では出産直後に赤ん坊の足に、ID付きの小型センサが装着される。心拍数を常に無線で送るようになっていて、万が一の誘拐対策になっている。セキュリティはコスト無限大で、市場が存在する例になっている。

2010年4月19日月曜日

Research Tips

今日のPatriot Dayを含めてMITは4連休。春学期も終盤になり、プロジェクト(iTeam, S-Lab)やファイナルペーパ(DBIC)が佳境を迎えている。いずれも過去、仕事でも関わったことがない産業と地域が対象なので、纏まった時間を使って調べ物を続けている。秋学期のG-labでは、いまいちMIT(SloanやLibrary)が提供する情報リソースを活用できなかったが、何度かやってコツが分かってきたので整理しておく。

- Capital IQ, Hoover
会社の名称で検索すると、会社の登記情報、規模(売上、従業員数)や連絡先が分かる。Webにないスタートアップもリストに載っており、競合企業の概況を把握したり、メール取材の候補リストを作るのに活用できる。Sloanpoint(学生向けWeb)のCDO (Career Development Organization)から利用。

- Factiva
Wall St. Journalをはじめ、各種ニュースリソースをキーワード検索して、関連性の高いものから纏めて読める。ごく最近のトレンドを押さえたり、プロジェクト物のレポートを書く際に引用するのに重宝する。同じくCDOから。

- Market Insight
S&PのIndustry Reportが読める。業界構造を理解するのに最適。Country reportも使える。同じくCDOから。

- Google Scholar
論文検索。Public domainから利用可能だが、検索結果がMIT Libraryの蔵書と連動していて、オンラインでPDFで読めたりハードコピーの取寄せもできる。

卒業後に使えなくなるのが残念だが、職場でも同様な環境があるはずなので、有効活用するコツが掴めたのは収穫だった。例えば、半導体の汎用品の製品企画には、色々な応用分野が潜在顧客になるので、コンサル並みに自分が未経験の産業を早く広く理解することが求められる。i-Teamsのプロジェクトで米国の複雑な医療保険制度を調べた知識が、他のクラス(Power&Negotiation)で役立ったり、コース間で業界を異なる視点で横断的に見えると、また面白くなってくる。

2010年4月16日金曜日

MIT PE Symposium

MIT VCPE Clubが主催する、PE Symposium (プライベートエクイティシンポジウム)を聞きに行った。Mega Fundのパネルには、カーライル、ベインキャピタル、THL, Warburg Pincusという、いずれも$10Bを越える投資規模を誇る大型PEが揃い、モデレータがテンポ良く進行していた。どのセクター(産業、国)にフォーカスするかという質問には、どのセクターにも成長余地が高い案件があれば投資するという回答だったが、代表例として米国のhealthcare reformが上がった他、Tax incentiveが大きいElectric Vehicleが2010年の期待案件として話題に上がった。また、Management FeeをLP(投資家)に課す是非については、Operationに関与する必要経費という原則論を踏まえた上で、あるPEはExit後にManagement Feeの50%はLPに還元している(おそらく成功案件のみ)とのことだった。Management Fee 2%と成功報酬 20%というPEの手数料が金融危機後に下がりつつあると言われているが、Mega Fundも例外ではないようだ。
PEに興味のあるクラスメートが多く参加していたが、特にSFは年齢も高い分、就職戦線は厳しいようだ。その高額の手数料に拠るボーナスへの期待に加えて、MBAのStrategyとFinanceの両スキルを活かせる点で挑戦心をかきたてられるのだろう。

2010年4月15日木曜日

15.665 Power & Negotiation (Multi-parties)

木曜夜のPower & Negotiationでは、今日がはじめて、複数パーティの交渉術だった。1対1の交渉では、Win-winを前提に合意を目指して両者とも交渉に集中できて、比較的簡単だった。一方、3人以上の交渉では、誰と組んで誰をのけ者にするかを巡っての駆引きが最初に入る。一部のパーティで利益を山分けにしようといったん同盟しても、のけ者にされたパーティがより有利な条件を提示して、同盟を切り崩しにかかって、これが延々と続く。授業では、関係者全員で合意するのが安定な状態と説明された。また、実際のビジネスで同盟が出来るのは、会議に先に着いた者同士や、休憩の合間の雑談で、人間的な好き嫌いに拠る信頼関係が重要とのことだった。
次にシミュレーションしたケースは、港湾開発者のパブリックヒアリングに対して、環境団体、労働組合、銀行、競合事業者、議員の5人から、4人以上の合意(1人はのけ者OK)を取り付けるものだった。私は環境団体の役で、交渉前にケースを読むと、他のプレーヤが経済的興味を持つ一方で、自分だけが他に誰も関心のない環境問題なので、必然的に合意の輪から外され易い立場だった。ケースでも、自分と直接利害の無い項目にも議論に積極的に参加するように指示があって、そのおかげで議論の中で信頼関係が自然と出来上がり、最終合意からも外されずに済んだ。自分に利害のないテーマに私は干渉しない主義だが、黙っていると仲間外れにされる危険があるという、実に実践的なTakeawayだった。

2010年4月14日水曜日

Golf アイアンの飛距離

今日も天気が良かったので、午後から打ちっぱなしへ。レキシントンのドライビングレンジは西向きなので、いつも夕方は眩しかったが(その分、空いているが)、早い時間で快晴だとボールが見やすかった。これまでのラウンドでは、セカンドショット以降は、その日の気分でいつも同じアイアン(8Iとか)を持って、力の入れ具合で飛距離を調整していたのだが、PW以上の距離は番手を変えて全く同じスイングで振るのが正統だと遅ればせながら知った。練習ではこれまでも、5I以下は同じフルスイング(スタンスも同じ幅)だった。というわけで、番手ごとの平均距離を目測してみたら、以下のようになった。
Driver 180+ yard
Fairway wood 160+
3I 150+
4I 150+
5I 130
6I 120
7I 110
8I 100
9I 90
PW 80
Webで見つけたアマチュア男子の平均距離と比較すると、30 yardほど短い。スイートスポットに当たったときは、20 yardくらい平均より伸びるが、それでも一般の平均より短いようだ。反対にミスショット気味だと20 yard以上短くなる。ここのところ、金曜だけ天気が良くなく、先週は雨で流れ、今週もどうなることか。晴れますように。

2010年4月13日火曜日

キャリアゴール

今週はSloan Fellowsに今年入学される方々のApril Orientation期間で色々とイベントがある。早いもので、初めてSF10の同級生達と顔を合わせて1年たった。あの時は家探しが話題だったのも、卒業が間近になって、最近はクラスメートに会えば卒業後の仕事の話題が多くなっている。今日は、期待していたProject Financeに関する講義が無く、時間が空いてしまったので、友人とチャールズリバー沿いを男同士で散歩することになった。先週に桜やモクレンがピンク色の花が満開だった並木通りも新緑に変わり、散歩日和だった。
その彼は、会社に戻るオプションもあるが、転職するのも自由の身。日本人の社費組と同様に、会社に戻った後のポジションや職種を交渉しているそうだが、その上司が他部門のポストを紹介するのに腰が引けている。ずるずると引き延ばされて職場に戻ってから交渉するとなると、気づけば留学前と同じ自分に戻ってしまう状況が怖いようだ。また、欧州企業で本国から送られたトップマネジメントが要所のポストを押さえるため、ローカル出身の彼には、ローカルな仕事しか任されない不満もあるようだ。日本でも、海外を視野に入れた仕事がしたければ、外資系よりも、メーカや商社に入った方が機会も権限も多いのと同じ図式のようだ。
PEへの転職に興味があるが、やはりリモートでの就職活動には限界があるようで、本格的に始めるのは帰国後になってしまうらしい。PEは、投資銀行歴の長い彼にしても、最初の入り口の敷居は相当高いが、一度その業界に入ってしまえば、ネットワークができてその中で転職しやすい業界のようだ。PEは、MBA後の就職先として人気が高いが、キャリアゴールは、早く引退するか事業会社の経営陣に迎えられることになるのだろうか。それだと、事業会社でCFOに内部昇進する方が近道なんじゃないかとも思える。
そう聞いて、卒業直後の進路は色々あれど、最終的なキャリアゴールをこの機に考えなくてはと思う。彼いわく、不思議なもので、ゴールさえ設定すれば、自然と行動がそれに従いやがて適うものだ。こういう仕事がしたいとか、いつかMBAに行こうと思っていたら、運はあれど時間が経てば現実になる。現実に達成するたびに、新たなキャリア目標を設定しなくてはいけないが、目標となる人を見つけるのもだんだんと難しくなっていく。

2010年4月3日土曜日

Golf Newton

Spring Breakの頃から、ボストンは暖かい日が続いている。シーズン再開を皆、待っていたかのように、ドライビングレンジは、週末は朝から結構、混んでいる。今日でかけたNewtonの住宅街にあるコースも、絶好の陽気に恵まれたものの、混雑でスロー進行だった。先週のFresh Pondが雨の中、2人貸切状態でハイペースだったのとは大違いである。春休み中の打ちっぱなし通いのおかげで、アイアンが方向と距離ともに多少、安定してきた。ショートホールは、あわやホールインワンのバーディを含めて、ワンオン2回と好調だった。一方で、ドライバが前半からOB連続のビッグイニングが多く、スコアは情けないほど進歩しない。あるWebに、120を切るにはドライバを封印するのが近道とあって、たしかにそうだと思ったが、スコアよりやはり楽しさを優先したい。あと、Newtonのコースは、フェアウェイでも起伏が多くて、アドレス姿勢が不安定になり苦労した。運動不足解消でプルカートにしたところ、アップダウンが激しくしんどかった。同級生は、マナーをあれこれ教えてくれるのだが、95年頃はサングラスもダメだったらしい。今度は空いている平日にまた行ってみたい。

2010年4月2日金曜日

15.268 Choice Points (Copenhagen)

今日のChoice Pointsは、スペシャルゲストとして、ノーベル物理学賞を1990年に受賞したフリードマン教授が参加した。MITには、Novel Prize Winnerの教授は多く、講演を聞ける機会はあるものの、少人数のクラスで話ができたのは初めて。
今回の映画は、比較的新しい戯曲の「コペンハーゲン」。1941年、ナチスドイツ占領下のデンマークに、量子力学でともに有名なボーアをハイゼルベルクが訪ね、二人のセリフで物語が進む。ボーアは、デンマーク人でユダヤ系でもあったため、幽閉生活を余儀なくされた一方、かつてその弟子だったハイゼルベルクは、ドイツ人として原子力研究の第一人者だった。史実では、この二人は当時、会ったが、何を話したかは謎とされている。これがドイツの核兵器開発計画の可能性を知る一端になるため、色々な解釈をされ、それ自体が一種のコペンハーゲン解釈になっている。量子力学におけるコペンハーゲン解釈というのは、波のように存在確率が広がる量子が、いったん観測をすると、粒子のようにある場所に収束するものの、観測前にどこに粒子があったかは分からない、という、ボーアが提唱した量子力学の考え方。つまり、過去の真実を解釈しよう試みても結局分からないというアナロジーになっている。その原理を、ゲストのフリードマン教授自らが、光子スリット実験を例に説明してくれたが、文系が多いFellowsやPartnersには難しかった。私も、ボーアの哲学的な会話の中に、相補性とか量子力学の色々なアナロジーが散りばめられていたことに授業で気づかされた。物理が好きな人には、おすすめの映画である。
当時の会話の一つの解釈は、ハイゼルベルクがボーアに、ドイツの核兵器開発に協力を求めたというもので、映画では、その表向きの口実として原子炉の平和利用を上げていた。史実でも1941年の時点では、プルトニウムの存在が公知でなく、ウランでは臨界状態に必要な量が多すぎて、ハイゼルベルクは兵器利用には懐疑的だったという見方もある。もし、ハイゼルベルクがプルトニウムの存在を認識していたならば、その生産のために原子炉を稼動させたかった可能性がぐっと高まる。フリードマン教授は、ハイゼルベルクと面識があったとのことだったので、その点を質問してみた。教授によると、すぐ後の1942年にソ連の研究者がプルトニウム発見を発表しており、ハイゼルベルクはその存在と兵器利用の現実性を認識していただろう、とのこと。しかし、結局、ドイツの核兵器開発が進まなかった主因は、アメリカがマンハッタン計画で科学者を一箇所に集めたのに対して、研究者がバラバラに研究していて、意思統一がされなかったため、とのことだった。

2010年4月1日木曜日

15.665 Power & Negotiation

交渉術の授業もH2に入った。H1では、毎回の授業中に1-on-1の交渉演習を通じて、BATNAやWin-winを目指すといった基本的なコンセプトを習った。H2の1回目は、E-mailで交渉を始めるケース。まだ会ったこともない相手に、自分の意図を紹介するE-mailやFaxを送って、交渉を始めるもの。アジアの海賊版ブランドの生産者に対して、ブランド使用をやめさせるか、権利を売ってしまうか、最終ゴールとしては、色々な戦略がありうる中で、刻々と変わる設定に応じて、脅す、宥める、待つと、戦術を選択する。戦略と戦術の一貫性が大事とはいいながらも、落とし所は友好的解決でも、逃げる相手をテーブルに着かせるために裁判も辞さない脅しが必要だったりと、Powerをタイミングよく発揮する戦術が不可欠になる。また、e-mailだと、待つのも有効な戦術で、いったん強い立場に立ってから数日待ち時間を使えば、弱い立場の相手が焦れてさらに好条件の提案を持ってくる可能性がある。仕事でも良くやる手ばかりであるが、後々に禍根を残さないように最後まで纏め上げる自信と根気が大事で、その程度次第で交渉の入り口で可能な手段が制約されると思った。

HBS 1570 DBIC Google

HBSのDBICも今日で最後。MITでは、まだ春学期後半が始まったばかりだが、HBSの一部のコースでは、通常29回の授業を20回で終える代わりにファイナルレポートが課される。それでも、MITの単位数に換算すると12単位になり、これでG-Lab (9+3)やS-Lab (6+6)と同じなのは、クレジットの重みにだいぶ差がある。HBSでクロス履修してみて、Sloanとのカルチャーの違いとか良し悪しが実感できた。ちょうど先週末は、Sloanの春休み中にHBSだけクラスがあったため、Sloan Fellowsのクロス履修組(Michael Porter, Strategy, VCPE, Leading Teamなど)で飲む機会があり、HBSでの感想を共有した。まず、HBSの学生は若くて非常に優秀で、しっかりとケースディスカッションをしている。基本的なことだが、ケースを読み込み、そのファクトに基づいて、自分の経験や意見をロジカルに発言するスキルが全員、完璧である。その発言から、新しい視点に気づかされることがしばしば。一方で、雇用や外交問題など政治っぽい話になると、アメリカの優等生らしい安全寄りな発言に終始し、平均で10年以上も年上のSloan Fellows達に言わせるとナイーブな議論の印象だった。DBICの例で言えば、HBSでは中国のSudanへの武器輸出は倫理的に正しくないというケースの視点が疑問の余地のないファクトとして共有されたのに対して、SFのコアで同様なケースを議論した時には、他の欧米諸国の武器輸出はどうなんだという議論でひと悶着した。SFでは、成績のための発言は少なく、ケースよりも自分の経験や信念に基づく発言が多いのも特徴で、延々と演説を始めて教授にもういいからと言われてもお構いなしに続ける人もいる。こうなると、どちらがナイーブかは別として、スクールやプログラムでずいぶんカルチャーに差がある。
さて、DBICの最後のケースは、Google(谷歌)の中国撤退だった。西海岸的な自由主義と中国の検閲制度の文化的な対立や、ローカルのBaidu(百度)とのシェア争いなど、DBICに共通的なフレームワークを活かせて、20以上のケースを経た今ではより1月時点では気づかなかった視点を含めて構造的に理解できるようになった気がする。なぜGoogleはセンセーショナルな撤退発表をしたか?という問いに対して、中国国民向けにBaiduとの違いをアピールしてシェアを増やす最後の切り札だったという仮説は、全く気づかず面白かった。

2010年3月30日火曜日

ICCP: BigShot (手作りデジカメ)

ここ3日間、ICCPというカメラ技術に関する学会がMedia Labであり、授業の合間に気になる講演だけ聞きにいった。一般向けで面白かったのは、手作りデジカメの教育プロジェクト。Google他がスポンサーとなって、ColumbiaのShree Nayar教授が手がけ、ベトナムや中国の他、日本の子供達も参加している。科学に興味を持つきっかけ作りを目的に、子供達がデジカメを手作りで組立て、3Dステレオ像や魚眼などの写真を撮って遊びながら、Webでカメラの仕組みを自然と学ばせるように工夫されている。カメラ自体は、OLPC (one-laptop per child)のように手巻きで充電できる点を除けば、普通のシンプルなデジカメである。そのスペックよりも、教育効果に重点が置かれている。販売するメーカがいれば是非声をかけて欲しいとのことだったが、デジカメメーカだけでなくプリンタやフォトフレームとのセットも可能で、知育玩具として市場がありそうな印象を持った。http://www.bigshotcamera.org/

2010年3月29日月曜日

インターン

インターンの話といっても、まずは10年以上前の大学生時代の思い出から。インターン先で受けたアドバイスが、その後のキャリアを切り拓く礎になった話を同級生の友人から聞いて、私も学生時代を思いだした。当時、大学の学科事務室が就職全般を管理していて、インターンは学科のリストから抽選で選ばれた。私は破格の日給1万円で鉄道会社に当選したはずが、鉄道が生き甲斐の同級生の泣き落としに遭い、日野のとあるメーカに代えられた。仕事自体は車載部品の実験で、大学のそれとたいして変らなかったが、会社でのマナーやエンジニアとしての心得を学べたように思う。朝の挨拶から机上の整理整頓(書類は机に垂直に)など、最近はうるさく言わなくなったことまで、学生相手の気楽さから指導される。一方、グループ長が朝礼で特許を書けと毎朝繰り返し、そのうち業務命令で書かせると脅す光景は、今でもどこのメーカでもありそう気がする。以来、何でも「これは特許になるか」と反射的に自問自答する習性が抜けない。
MBAのインターンは、就職活動の第一関門になっており、1年生のうちに意中の企業のサマーインターンを獲得して、そのまま卒業後のオファーをもらうのが理想。また、社費派遣の場合、転職の意思によらず、自社と違う業種の研修プログラムで長い夏休みを有意義に過ごす人もいる。ただ、企業側に採用のメリットがなく、社費派遣生を受け入れる会社は非常に少ない。Sloan Fellowsは、夏休みがないのでインターンの話は全くなく、この春休みの間、国に帰って職探しという同級生は多かった。

2010年3月18日木曜日

15.915 S-Lab 会社訪問

CA Trip最終日。Tripのバイオ関連企業の訪問に代えて、S-Labのプロジェクトホスト企業を訪問する。15.915 Sustainability Labは、H1のケースベースのレクチャーに続いて、H2に4人チーム毎にプロジェクトホスト企業がアサインされる。私のチームは、サンフランシスコの全てのゴミ回収を行う会社で、リサイクリングの先進的な取組みで知られる。半日で、同社の本社で色々と話を聞いた後、同社のリサイクル施設を見学した。
本社の方は、都市工学系のPh.Dホルダも多いエキスパート集団の様相。ホスト企業側の担当者が、MBA2009のAlumnaで去年にS-Labを取っているので、話は抜群にしやすい。彼女とプロジェクトの話をしていると、Life cycle全体での環境負荷を考えるフレームワークや、資源のClosed loop化(再利用化)の重要性と課題など、思い出せばH1のケースで読んだり聞いた話が役立つ。授業を取った人同士では、使う用語の概念の共通認識が既にあるため、非常に話がスムーズだった。SloanのLab系の授業は、素人向けによく工夫されていると改めて思う。人には学び方の得意不得意があると思うが、私はアカデミック的な理論だけで理解できず、業務経験と照らし合わせて選択的に理解するタイプのようで、Sustainabilityのように初めて学ぶ分野はLabで挽回できとよいのだが。
さて、実際の施設見学の方は、ゴミ回収の現実問題をありありと見せ付けられた。まず、ゴミの量。一人あたりのゴミ排出量は、アメリカは日本の2倍も多い。さらに、日本でも市町村で分別方法は異なるが、アメリカは全く分別しないSingle Streamの割合が高い。テキサスにいた当時、最初は罪悪感があったが次第に無頓着になったものだ。また、リサイクル率は、見かけの数字は日本よりアメリカの方が2倍ほど高い。実際は、アメリカは焼却処理で圧縮せずにそのまま埋立てに回すため、割り算の母数が5倍近く違いアメリカの方が低い。サンフランシスコは先進的で、リサイクル率が50%を超えているが、同社はWaste Zero (100%リサイクル)を目標にしている。リサイクル施設のオペレーションは、マニュアルによる単純ソーティングで、紙、金属、ペットボトル、ガラス等を再資源化する。
これまでは、各資源のリサイクル率だけを目標にしていたのに対して、今後は、どの資源にフォーカスして施策を打つべきかが、S-Labプロジェクトの主な提案内容になる予定。その答えを出すためには、各資源の製造から利用までのサプライチェーン全体を見た上で、どの資源がGHGなどの環境負荷観点で、リサイクル化の恩恵が大きいかを比較可能にする必要がある。会社見学のおかげで、製造業としての責任感が実感できたためか、Sustainabilityをより真剣に考えられた点は大きな収穫だった。

2010年3月17日水曜日

CA Trip 3日目 (Facebook, eBay)

CA Trip 3日目。Facebook, eBayと、ソーラパネルのスタートアップ企業を回る。
1社目のFacebookは、大学のクラスメート内のSNSから発展して、いまや世界中の大学生・高校生の人気サイトとして、Google, Yahoo, Microsoftに次ぐ、アクセス数を誇るとも言われる。Palo Altoの目立たないエリアにある同社を訪問した。自分と年がそう変わらないエンジニアのTopが講演者。FallのAlan MacCormackのクラスで、同社のケースを読んでレポートを書いていたこともあり興味があった。Facebookは毎日のように新しいアプリケーションが公開されているが、同社のエンジニア数がMicrosoftの100分の1程度であるとすると、驚異的な開発速度だ。それを実現する企業文化として、いかに挑戦的な目標を多数生み出すか、また、早く失敗して学ぶか、という実験型Innovationで知られる。少数精鋭のエンジニア一人ひとりにそういった業務目標を課すとともに、Localizationをほとんどやらない割り切りが成功のポイントのようだった。
2社目は、ソーラパネルのスタートアップ。環境へのやさしさといったDouble bottom line的な話を聞かされるかと思っていたら、全く違ってビジネスライクだった。Renewable Energyは、政府が作り出した特需で"Energy is absolutely politics."とあっさり言い切り、さらには、VCがこの分野にじゃぶじゃぶに投資しているからCash burningを続けても生き残れるとの自信には驚いた。製造ラインを見学させてもらい、非常に単純な工程で驚いた。見学していた時は、薄膜シリコンだと勘違いしていたのだが、基板の色が黒かったので変だなと思い、Webで調べなおしたら化合物系の一種でCIGS型と呼ぶものだった。工場の設備も簡易そのもので低コストを強調していて、中国製でワット25セントという話もあるのだとか。講演者のCEOが急用で不在だったせいで、テクニカルな話が多かったが本音が聞けたのはむしろよかった。
3社目は、eBay。コンサル出身のVPで、プレゼンスタイルが独特だった。机をたたいて怒った演技をするかと思えば、質問を答える前に敢えて長い間をとり当たり前なことを重みがあるように語ったりと、聴衆を魅了する上手さがあった。そのスタイルを中東出身の同級生が絶賛していたが、日本では政治家でもない限りやり過ぎな印象もあるが。講演内容は、eBayは買収したPaypalをオンライン決済のスタンダートにしつつ、C2CのMarket Placeを握りたいようだった。
CA Tripも私は水曜でおしまい。サンフラン滞在中はアジアンを食べ歩き、やはり西海岸は食べ物が美味しい。日曜夜に一人遅くホテルに着いて、チャイナタウンに向かっていた所、それを聞いた同級生がわざわざ電話をくれて、もう店が閉まってるだろうからと、彼がR&G loungeから持ち帰った夜食をもらった。月曜は、ジャパンタウンへ出かけ、先に入ったラーメン屋はいまいちだったが、焼肉屋はちゃんと日本の焼肉だった。水曜も、ジャパンタウン近くの韓国料理屋で、辛いジャーメンを食べた。

2010年3月16日火曜日

CA Trip 2日目 (Yahoo)

CA Trip 2日目は、Yahoo! CEOのCarol Bartz氏との対話。2008-2009年の一連のMicrosoft, Googleと三つ巴の買収・提携話で揺れる中、Jerry Yangから舵取りを任されたのは、60歳にしてAutodeskからYahoo!に移ったシリコンバレーの大ベテラン。ざっくばらんな話しぶりで、Board membersを自分との相性で選んでいたり、コミュニケーション型のトップだった。Yahooは創業15周年を迎え、シリコンバレーでは古い企業の仲間入り。Innovationのカルチャーを維持するため、従業員に階層を超えたフィードバックを促す工夫などを導入しているとのこと。
驚いたのは、我々の訪問を歓迎するための会場設営で、レッドカーペットの代わりに、ヴァイオレットカーペットが敷地の入り口から会議室まで続く。所々に、SloanとYahooをCo-brandingしたロゴや、Sloan Fellows様ご一行歓迎!を表す色々なメッセージがある。写真はその一つ。

2010年3月15日月曜日

CA Trip 1日目 (Agilent, Oracle)

Sloan Fellowsのカリフォルニアトリップ(CA Trip)へ。シリコンバレーのスタートアップ(Facebook)やITメジャー(Oracle, Yahoo!, eBay)の経営者との対話を通じて、Innovationに必要なLeadershipを学ぶことを目的とした、サンフランシスコ4日間のトリップである。Sloanは秋学期同様にH1とH2の間にSIP期間を設けており、Sloan Fellowsはその期間をこのTripに充てている。既に仕事や観光でサンフラン周辺は行き尽くした感はあり、日曜夜発~木曜夜戻の短期滞在にしたが、何度行ってもIT企業の雰囲気と温和な気候は居心地が良い。
1日目は、朝食後にMIT卒のDust Network社CEOが、スタートアップの心得を話す。NortelでMarketingの経験もある彼女いわく、TechnologyとSalesの両方の経験が、起業後に大きく活かされているとのこと。FallのTech Salesのクラスや各種Forumでもよく聞いた話だが、VCからいざ資金調達に成功したとして、ファーストユーザを如何に早く獲得してCash Burningを凌ぐかが、営業力が成功の分かれ道になる。CEOが自分で営業しない場合、業界から凄腕の営業マンをいったんハントしたら、会社の命運をその個人の能力に託すことになる。
2社目は、Agilent Technologyを訪問し、CEOとの対話。電子系エンジニアには馴染みの深い会社で、私も学生時代のオシロスコープに始まり、ネットワークプロトコルアナライザ、PCI Expressバスアナライザなど、Hz帯から10GHz帯まで同社の計測器と戯れた縁。最近は、食品の安全をテーマに原子同定の計測器も扱っているようだ。講演者のCEOは、分社前のHPに続き35年以上Agilentに勤め上げたエンジニア出身。それらしく、プレゼンとQ&Aも冷静でロジカルな印象。同じようなキャリアを歩むと思うと、私は親近感も湧いたのだが、他の同級生は別の感想を持ったようだった。製品が地味なハンデを全く感じさせず、事業戦略をマーケット視点で語るプレゼン技術は、参考になった。
3社目は、Oracle。Communication部門のGlobal GMが講演。Sunの買収に合わせて垂直統合を進めながら、業界別にソリューションを水平展開していくという同社の戦略を紹介していた。話の流れが分かりにくく、講演者自身もOracleに買収された企業の元CEOで、会社のビジョンが社外に発信可能なレベルまで統制されていない様子が伺えてしまった。TopのCEOは、攻撃的な発言とVisionで知られているが、過渡期とはいえ、スタッフ組織が弱いと社内にもそのVisionが浸透しないもので、M&Aで大きくなった企業の統治の難しさを感じた。

2010年3月12日金曜日

HBS1570 DBIC 电动汽车

中国の自動車市場は、2009年に販売・生産台数ともに、それぞれ米国・日本を抜いて世界一の座についた。完成車輸出はまだアジア圏にほぼ限られるが、部品輸出は主に米国向け。今日のケースは、Universal Jointで成長した、業界外には無名の中国の部品メーカの話で、米国メーカを買収し、さらには电动汽车(簡体字で書いた電動自動車の意)まで、バッテリを自社製造して完成車を作ってしまった会社である。中国は、人口密度の高い都市が多く、空気汚染の問題もあって、ハイブリッドではない電気自動車の有力市場とされている。中国には100を超す完成車メーカがあり、ハイブリッドより構造が簡単な電気自動車を商用化した中国メーカも数社ある。
その中国メーカからゲストスピーカが来ており、期末ペーパの参考に、授業のあとに質問してみた。電気自動車は、今のところ政府の補助金だよりのビジネスだが、普及の鍵は技術の成熟化で、5年後くらいのタイムスパンでは急速に普及が進むと見ているとのことだった。

2010年3月10日水曜日

HBS1570 DBIC TSMC

DBICのケースで初めて、台湾企業を取り上げる。相変わらずビジネススクールらしくないというか、台湾の政治経済の歴史背景を纏めたケースが別に一本用意されている。授業は、Is Taiwan part of China?という極めて政治的な質問を、各国の学生に答えさせ、アメリカ人学生にもその微妙な本音と建前を理解させるところから始まる。中国の学生からは、台湾と中国は言葉や食べ物を含めて文化も一緒だから自然と一つになるべきという、大陸で教育を受けた人なら誰に聞いても全く同じ返事になる。一方、台湾の歴代首相の大陸政策の変遷を見ると、台湾におけるChinaという単語の意味が、最近では大陸側という地理的な意味を持つに過ぎなくなりつつある。
政治問題がある中、台湾企業の大陸ビジネスは、1987年に戒厳令が解除されて以来、地理的に近い福建省や広東省から進出が進んだ。それでも、半導体業界は、最先端技術の輸出規制の影響で中国で立ち上がりが遅い業種の一つ。いまやFoundary企業としては世界シェアの半分近くを握る台湾のTSMCが、2003年に上海工場を発表した当時は非常に注目され、一つの転機だった。TSMCの母体は、台湾の数々のIT企業の成功の元になった政府系の研究機関ITRIで、Texas InstrumentからCEOにMorris Changを招いて、新竹に第一工場を1987年に立ち上げた。米国西海岸Qualcomm, nVidiaなどから製造を請負うFoundaryビジネスの先駆けで規模を急拡大し、新竹に続き台南にも大きなFabがある。上海工場は、規制の影響で古いプロセスと中古の製造装置しか使えなかったものの、新竹からFab移転が進み生産規模では主力になりつつある。TSMCのケースによると、半導体は製造費に占める労働コストの割合が8%と小さく、大陸進出のメリットは顧客のサプライチェーンに地理的に近いこと。また、中国の優秀な技術者の確保と、将来の中国Fablessメーカの立ち上がりへの先行投資でもあるようだ。
経済的な利点があるとはいえ、上海進出の理由を聞かれたTSMCのある経営者が"To get out of Taiwan"と答えたという話には、耳を疑った。NYSE上場企業とはいえ、規制の厳しい本国への容赦ない姿勢は、日本企業には見られない。日本の半導体メーカは、前工程工場の海外立地はむしろ縮小傾向にある。これは、最近は最先端プロセスへの集中投資が主になって、技術流出を防ぎつつ、国内の顧客と設計部隊との連携に重きを置くためと言われているが、ガラパコス化という批判も一方ではある。旧世代Fabの海外移転は、一企業としては多少の経済合理性があるかもしれないが、国としてはGDPが海外に移りマイナス。世界的に競争力のある産業が他に育たないと、その雇用を代替できない。日本と台湾はその点で今や共通の課題を抱えており、台湾企業の年輩の経営者と話すとよく心配していたのを思い出した。

2010年3月6日土曜日

15.617 Basic Business Law - Tilted Towards Finance

課題の多かった今週も、15.617 Business Lawの1st Examを金曜夜にようやく終えた。Business Lawは、15.615, 616, 617と3つあり、前半は共通してTort法、PL法、契約法などを題材に、ビジネスマン視点で英米法の基礎を習う。後半はコース別にケースが変わって、私が取る15.617はFinance寄りでM&Aや債券の法制度を扱う。フルタームだが、2回テストがあるだけでワークロードは軽い。授業内容もコンパクトさ重視で、Akula教授が最低限の法律知識を纏めたPeanutと呼ぶメモを最初に読み、そのコンセプトを判例をケースに理解していくステップになっている。ケースも、米国現法で遭遇しそうな問題もあり、マネージャとして会社と自分を守り、法律的に正しく対処する術のヒントが多い。
日常的な仕事でも、特に契約法でどの範囲の損害まで賠償請求できるか(されるか)の原則は、商談で契約を詰めるときに頭に入れておきたいと思った。通常は業界の商慣行で分かることも、新規事業は前例がない契約の雛形から自分で作るため、原則から考える必要があるが、今までその理解が甘かったことを実感。既存取引先とも商品固有の売買契約を結ぶのか、技術サポート部分を売買契約の保証の一部にするのか新たな技術契約にするのか、不良品や知財の扱い、代理店の関わりなどなどは、事業リスクと時間・手間のバランス次第で経験的に決める。商談の大半の時間は、契約の条項一つ一つを関係者で集まって交渉して、後で社内法務に相談するとはいえ、たいていは当事者間で判断が求められる。

2010年3月5日金曜日

15.913/915 Sustainability Lab (S-Lab)

Sloanの看板授業の一つであるS-Lab。Sloanは、Labと名のつくプロジェクト形式の授業が多く、G-Lab, L-Lab, E-Lab, D-Labと色々。Sustainabilityと呼ぶ持続可能社会をテーマに、Climate Changeや資源枯渇をSystem Dynamicsを使ってJ. Stermanが解説したのに始まり、Nike, Herman Millerなどリサイクル率を上げる取組みのケースを学ぶ。H1の15.913 Strategies for Sustainable Businessのケースディスカッションに続き、H2の15.915 Laboratory for Sustainable Businessは企業相手のコンサルプロジェクト。企業戦略の中でのSustainabilityは、ケースではもてはやされても、実態としてコストの位置づけを出ないので、興味が湧きにくかった。一方、プロジェクトは、サプライチェーンを見るのがメーカ出身としては面白く実用的そうだったのでH2も続けることに。チームを作ってBidした結果、サンフランシスコにある資源再生の会社になった。チームのメンバは、私以外の3人は資源再生の経験者で、希少金属回収プロセスでPh.Dを取ったりNPOやインターンで勤務経験もあるので心強い。私もこの機にTVや携帯電話など電気製品の廃品回収から資源再生まで一通り見ておこうと思う。S-LabはG-Labと違い、通常はリモートで現地実習はないのだが、ちょうどSloan Fellowsのカリフォルニアトリップでサンフランシスコに滞在するのに合わせて、見学させてもらう予定。

2010年3月4日木曜日

15.371 i-Teams

i-Teamsのプロジェクトは、授業中にチーム単位の簡単な演習を通じて進む。H1の間にも、Application Map, Functional Analysis, Value Chainをそれぞれレポートで提出して、段階的にプロジェクトの技術評価やビジネスモデルを検討できるように工夫されている。並行してクラス外でも関係者と会うことが求められる。今週は、シーズ技術を開発したメディアラボの教授とプロジェクトの方向性を相談したのに加え、この技術の商用化を目的に起業したベンチャーをボストン郊外まで出かけて訪問した。このベンチャーはまだ数人の陣容だが、開発の実作業を実質一人で進めるエンジニアがまだ19歳というのは驚きだった。しかも彼は、HarvardのBachelorを3年も飛び級して既に卒業しており、この仕事を選んだという。感情認識技術という、心理学、バイオセンサ(EE)、プログラミング(CS)の3つの才能を要する学際的な領域で、ディスカッションしていても、技術とビジネスとも博識で話が一貫している。IBM Watson研を含め世界中のエンジニアを私が仕事で知る中でも、彼は突出したものを持っていた。
この打ち合わせが長引き、夜にVogel塾に遅れて参加。今回は、教育グループと合同で、飛び級を含むアカデミックパスの多様化がちょうど議論された。日本でもHarvardの彼のような人材がベンチャーを選ぶような教育システムに向かっている。

2010年3月2日火曜日

15.281 Advanced Managerial Communication

春学期の選択授業の一つである、15.281 Advanced Managerial Communication。毎回、仕事の一場面を想定したロールプレイの時間があり、質問の受け答え方から立ち姿勢までお互いにフィードバックする。秋のTech Salesがone-on-oneで話の中身に重きを置いたのに対して、このクラスでは主に大勢の聴衆相手にプレゼンする表現方法を磨く。今日は、Hostile audienceという敵対的な聴衆を前にしたロールプレイ。聴衆側のクラスメートが、結構な迫力で意地悪な質問を浴びせる。これに対して、いかに落ち着いて論理的に、ときには相手に共感しながら対応するかを練習する。アメリカ人は皆、役者になりきって楽しんでいる。プレゼンターが自由に状況設定してよかったので、私は重電メーカの広報担当として、原子力発電所の建設計画を、ローカルの環境活動家を相手に説明する設定にした。原発の仕事の経験はなかったので、オバマ大統領が30年ぶりに新規建設を承認した演説のイメージで、Clean & Safe, Energy Mix, Job Creationをキーワードにメリットを説き、さらに絶対の安全性をテクニカルに語った。質問内容は想定内だったが、矢継ぎ早に来る質問を順番に捌きつつ、時には相手を制してでも正論を最後まで言い切るところとか、広報担当風に初めて演じてみると、同じ守勢の立場でもセールスのプレゼン方法とは、だいぶ違うものだと色々実感するところがあった。

2010年2月27日土曜日

ボストン日本人研究者交流会(イノベーション)

ボストン近郊の日本人研究者が集う講演会を聞きに行った。毎回、色々な分野のテーマで専門外でも分かりやすく日本語で話を聞けるので、いい刺激になる。今日は、MBAの2年生の方が、日本の大企業がイノベーションのジレンマをどう克服するかをテーマに講演をされた。講演では、鉄鋼、半導体、テレビなど、かつて日本企業が優位だったが、新技術の到来とともにシェアを失った業界を事例にしており、身につまされる思いだ。クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」では、そういった大企業の衰退は日本に限らず必然的なこととされ、その対策をアカデミックな先行研究や講演者の最新研究を含めて聞くことができた。
日本の大企業では、新技術の潜在的な脅威を調査し、また積極的に新技術の市場開拓を狙うため、公社系でかつて技術部と呼ばれメーカでも技術企画を担う部門には、10年選手くらいのトップガンエンジニアとMBAや海外研究機関の留学組の中核スタッフを充てる。この精鋭部隊が、既存事業から集めた豊富な資金を武器に、新しい事業部や新会社を作って、成功事例も少なくない。にもかかわらず、10年~30年という長い期間でみると、いずれ新しいプレーヤにシェアを奪われ衰退している。この理由には色々なパターンがある。一つの理由は、新技術の候補が多すぎて、それぞれの市場化タイミングはさらに予測困難だから。このため、後になって振り返ってはじめて、投資が早すぎて撤退してしまったとか、十分なリソースを投じるのが遅すぎたと気づくのである。また、大企業特有の官僚組織の硬直性や感情的な要素も一因。しかし、仮に、新興企業の方がうまくイノベーションの波をキャッチできるのが正しいとしても、技術革新をヘッジできるようなVC投資をするには、上記の予測困難性を考慮するとリスクが大きすぎて、本業の屋台骨を揺るがしかない資金規模を要し、現実的でない。
また、技術革新と並行して、バリューチェーンの中で利益が取れる部分が変わることがあるというお話があった。TVでも昔はセット屋が儲かっていたが、今はパネル屋が儲かっている。このような変化は、ファイブフォース的な競争環境を決める要因が技術依存であるためで、規模の経済性が大きい液晶パネル含む半導体製品や、外部性が高いソフトウェアに、自然と利益が集まりやすいようだ。しかし、こういった価値のシフトは、新技術の市場化タイミング以上にさらに予測が難しいし、意図的に誘導することはなお容易ではなさそうだ。Proprietaryな摺り合わせ型アーキテクチャに市場を誘導できたとしても、中国企業にいつの間にかモジュール型アーキテクチャに換骨奪胎される例もあれば、特許訴訟に敗北してProprietaryを失った結果として互換メーカの氾濫を許した例もある。ただ、逆説的にはなるが、神はサイコロをふらない、とは言えない困難さがあるからこそ、技術を見極める目とビジネスモデルを描く力量の両方が、個人と組織レベルに求められ、メーカのエンジニアとしての働く醍醐味でもある。

2010年2月26日金曜日

ミッドキャリアMBA

日本人クラスメートとSloan Fellows (SF)プログラムの改善点が会話に上がった。Cohort全体でも話題にはなるが、日本人同士の方が大企業からの社費派遣である点もあり意見が一致することが多い。
歴史あるこのSFプログラムも、ミッドキャリアMBAとしての存在意義や学生構成が昔と少し変わってきていながら、アカデミックなコアカリキュラムや付随するトリップなどのイベントが保守的に継続されて、ニーズとギャップが生じている点がある。70年代、80年代のAlumniの話を聞くと、当時の学生構成は今の半分の50人くらいの規模で、米国のGMやGEなど伝統的な大企業の社費派遣が大半だった。派遣元企業のニーズに応え、SFはミッドキャリア向けにソフトスキル重視で組織や人を率いる能力育成が重視された。リーダシップなどのソフトスキルを学ぶには、同程度の経験を積んだクラスメートと一緒の方が効果的であり、また、経営者層のネットワーキングにも役立つ点から、プログラム専用の多くのコア授業とトリップが設けられた。一般のMBAがキャリアチェンジを目的としており、必要なハードスキルの獲得を自由に選択させている点との基本的な違いになっている。
昔はそれで良かったのだが、米国企業が研修プログラムを自前で持つようになり派遣を減らしてしまった結果、現在のSFの学生構成は7割近くが私費で、インターナショナル比率も高く米国に残って働くことを卒業後の目標にしている学生も多い。そのため就職サポート等の新しいニーズが出てきたが、プログラムオフィスのサポートは限定的で公式にはプログラムの目的として認めておらず、そこにギャップが生じている。また、一言でミッドキャリア学生と言っても、年齢構成が30代前半から40代後半まで広く分散している点も、必要なスキルのニーズに差を生む原因。ニーズが多様だからと、選択授業を増やす為にコアのリーダシップの授業を減らして一般のMBAと同様にすると、プログラムの存在意義が失われてしまう難しさがある。
私個人の希望としては、コア授業の時間拘束が比較的多いと言っても、秋・春学期の2期で相当数の選択授業を自由に取れる点から、現行カリキュラムに大きな不満はない。できれば、選択科目のクレジット数の上限を増やしてくれると、正式履修できて少し助かるという程度である。また、2011年に開始予定のEMBAに米国企業の社費派遣が戻ってきてくれて、SF Alumniと交流できるようになると、派遣元企業のニーズである仕事に直結するネットワーキングの価値が上がると期待している。

2010年2月22日月曜日

15.220 Global Strategy & Organization

SF春学期のコア授業の一つが15.220 Global Strategy。企業の海外戦略がテーマで、教科書のRedefining Global Strategy (P. Ghemawat)にあるフレームワークを用いる。秋のHaxのデルタモデルが顧客・パートナ視点のミクロレベル視点に対して、この教科書は、Michael Porterのダイヤモンドと同様にマクロレベル視点の戦略論が特徴的で、進出先の国の文化(C)、行政(A)、地勢(G), 経済(E)のCAGEモデル等で分析する。
今日のケースは中国のITメーカ。日本では馴染みが薄いが、業界ではR&Dへの積極投資で知られ、世界屈指の研究開発センターとエンジニア数を北京の本拠地に構える。日本で理系離れが言われて久しい一方、中国の一つの強みは高等教育で、北京には粒ぞろいの大学からソフトウェアに強いエンジニアが続々と市場に出てくる。アウトソースだけ請負っていた時代は過ぎ、優秀な人材を狙って、マイクロソフトや外資が研究機関を持つほど。この中国メーカも、日本メーカ並みの製品コンセプトの多様性と、最新の電子部品を意欲的に採用する先進性を備えていた。日本のセットメーカは、多くのセグメントで韓国・中国メーカにローエンドから市場シェアを奪われ、気づいたら研究開発力でも圧倒されつつある。この点が東南アジアとの大きな違いで、教育水準の高さとエンジニア数の厚みが大陸メーカの強さの源泉だと思う。

2010年2月20日土曜日

HBS 1570 DBIC paper

週末のこの日は、朝から重い頭をかかえて、ボストン市内の会社を訪問。日本の金融業界やパブリックセクターの近況を色々聞いてきたが、渡米前と比べて市況も前四半期から明るい兆しが見られているようだった。
午後は宿題を片付ける。HBSで取っている中国の授業(1570 Doing Business in China)は、冬学期通期だが20回しかない分、ファイナルペーパとして20ページ程度のレポートを出す。4月に授業が無いのは都合がいい。ペーパのテーマは、当初は中国の原子力かCDMをやろうと思っていたが、授業で小売・サービスの消費者の購買動向の話が面白かったので、電気自動車を選んだ。ペーパのプロポーサルを出した後、お互いに5チーム分をフィードバックするというのが、MITではちょっと珍しい。

2010年2月19日金曜日

15.268 Choice Points

金曜朝のChoice Points。毎回、古典演劇や現代映画をテーマに、リーダシップ像や人生の価値観について話しあうSloan Fellows向けクラス。Sloanでは唯一、Partnersも出席できるクラスで、夫婦で来ているFellowsから奥様だけ或いは子連れで参加しているケースもあり、家族コミュニティを大切にするミッドキャリアらしいクラス。我が家での通称はチョイポイ。以前はSloan Fellowsのコアだった。
これまで、ギリシア悲劇(Antigone)、Julius Caesarと定番の西洋演劇が続いて、今日はなぜか日本のShall We Dance?である。授業の前にFellows familiesで映画鑑賞会があり、改めて見てみると、日本的なコンテキストが色濃い映画で、外国人には分かりにくく説明するのが面倒そうだと思っていた。リチャードギアのリメイク版もあるが、敢えて日本のオリジナル版を見るようにクラスでは指定されいている。実際、クラスが始まってみると、皆それぞれの人生経験を振り返って、家族の間の会話のあり方がインドやアメリカと比較されたり、パートナに内緒にした現実逃避ではなくもっと人生全体を楽しむべきといったブラジル代表らしい意見も出て、面白かった。Partnersの発言も積極的で、Partners側の立場で考えさせられるのも会社や学校でも珍しい体験だと思う。外国人に意外な人気があった登場人物はたまこ先生で、つくり話でダンスパートナを組ませるのを両方に承諾させたマッチメーカぶりが、影ながら影響力を発揮する日本的なリーダシップスタイルとして彼らには新鮮だったようだ。

2010年2月17日水曜日

15.371 i-Teams

月水の夜は、15.371 Innovation Teams (i-Teams)という、Sloan生と理工系の学生が一緒にプロジェクトを行う授業をとっている。コアのManaging New Venturesと同じくFiona Murrayが教えており、彼女がクロスキャンパスで集めたプロジェクトから希望を選んで4人チームを組む。プロジェクトは、Media Lab, EECS系のプロトタイプがあって市場を探しているフェーズから、数学科のアルゴリズムしかないフェーズまで様々。市場も、定番のメディカルデバイスから軍事からゲームまで何でも可能性ありそうなものまで色々だ。3ヶ月足らずで、技術の理解から始めてシーズオリエンテッドで狙う市場の絞り込みからロードマップまでマーケティング調査を仕上げる予定だ。アウトプットや方法論は、日本の大企業のR&Dや技術企画部門が中期技術計画を立てるのと良く似ている。他のクロスキャンパスの** Ventures系の授業が、100K狙いでアイデア出しから起業プランを練るのに対して、i-Teamsは技術を持つ教授向けに、学生が中立的に助言する役割が期待されている。
私は、Media Labの感情認識技術のプロジェクトにアサインされた。4人チームで全員Sloan生。他プロジェクトには一人はPhDの学生がいるのだが、今回のプロジェクトは商業化にかなり近いのでSloanだけ。SFは私一人で、MBAの2年生(スペイン)と、1年生(カナダ, ウルグアイ)と、またInternationalなチームだが、皆ハイテク系が好きなのは共通。今日は夜中に寿司のデリバリーを取ってまで、ユースケースのアイデア出しをやるほどだ。春学期も1ヶ月近く経って、一番忙しい学期になっている。

PS. SF11の皆様、合格おめでとうございます。4月のオリエンでお会いしましょう。

2010年2月12日金曜日

HBS 1570 Doing Business in China

HBSでCross-registrationしているDoing Business in China (DBIC)。HBSの多様なコースの中でも、特定の国にフォーカスしているのは、この中国のビジネス環境を学ぶDBICだけ。これまでの授業では、歴史と政治体制の導入に始まって、SNS、繊維、私立大学、クレジットカードなど色々な業界のケースで飽きさせない。中国特有の政府規制によるミクロレベルの影響、米国や香港帰りの若い起業家の活躍、米中の貿易摩擦、金融市場を含むインフラの発展状況など総合的な視点で、中国出身の学生の意見も聞きながら授業が進む。北京や上海に偏らず内陸地域のケースがバランスよく採られ、また、文革以降の開放経済を主題にしながらも社会制度の歴史的な(秦、漢代)背景もよく見ており、中国の奥深さを実感させる。これも授業を教えるKirby教授を中心に長年のリサーチの蓄積に拠るところが大きいと感じる。MITでは、HBSの教授はケースばかり書いている印象が強いが、現地調査や共同研究を結晶化したのがケースだと再認識し、そのケースを書いた教授が直接教えるとケースがぐっと立体的に伝わってくる。Harvard内のKennedyやFASからもCross-registrationがいて、人文・社会学系はMITより厚みがありそうな感じだ。
Harvardの歴史の中でも、17世紀の創立以来はじめてリモートキャンパスを開設したのが、HBS上海キャンパス。MITがSloanを含む過去の授業をOpen Course Wareを通じて一般公開している一方で、HBSはケースメソッドによるライブな学習環境を重視するため、そっくりそのままの教室(6面黒板から座席配置など内装まで徹底して複製するこだわり)を上海に作ってしまった。SloanもEMBA風の新プログラムを開発中らしいが、他校同様に香港かシンガポールに教室を作ってくれれば、アジアの企業派遣生を集め易いと思うし、私を含めSloan卒業生も短期で参加しやすいのだが。

2010年2月11日木曜日

15.665 Power & Negotiation

木曜夜は15.665 Power & Negotiation。春学期は、月曜から木曜まで夜の授業が入ってしまった。その分、宿題や予習の時間を空ける為、FinanceやEcon系で聴講していたクラスは全部行くののをやめて、午後は何コマか間を空けている。MBAでは交渉術がどこの学校でも人気。このPower&Negotiationも100人のキャパシティで人気授業だった。ただ、夏学期の別の教授の方がいいという話が広まり、H2の別の交渉術のクラスにも人が流れたせいか、実際の授業はSloan生が20人程に加えて、他学部やKennedyの学生が多く同じ数くらいと比較的こじんまりしている。毎回、交渉パートナを変えるので、Sloan以外の色々な人と話せるのが面白かったりする。これまで2回の授業では、囚人のジレンマやReservation Priceといった簡単な理論を背景に、交渉シミュレーションを行う。レクチャーとシミュレーションの組合せがよく練られ、毎回Take awayが明確だ。価格交渉は、仕事で色々な場面に遭遇した(机を蹴っ飛ばす調達部長さん、交渉中に私の足を踏む上司、契約直前に合意を覆すある国)ので今更、テクニックを学ぶことも無いのだが、改めて自分の交渉スタイルをリフレクションして書かされると、不得意なパターンに気づかされ学びがある。

Disruptive Innovation - Christensen講演

クリステンセン教授の特別講演シリーズ(全4回)の第1回を聴講した。破壊的イノベーション、イノベーションのジレンマ等の多くの著作が日本語に翻訳されており日本でもお馴染みのテーマである。第1回は、企業の栄枯盛衰は必然的であり、その理由を研究して解き明かしたという教授の話から始まった。ワープロ、ミニミルを例に、ローコスト技術を持つ新参企業が着実に高品質・高マージン市場に浸透していく一方で、既存企業はユーザ要求を超えた過剰品質に陥り市場開拓が進まずシェアを失っていく過程を、前提を含めロジカルに解説した。この理論によると、新規参入の勝率が高い作戦は、既存企業と品質の直接競争を避けて、既存企業が低マージンに悩むローエンドから段階的に奪う方がよい。また、日本の経済停滞は、イノベーションの担い手となる起業家がいないためとのこと。第1回目の内容は、Youtubeにある最近の講演でも同じ話が聞ける。これから3回分も楽しみにしている。

2010年2月2日火曜日

Spring Electives Shopping

MITは昨日がRegistration dayで、今日からSpring termが始まり。最初の数日は、選択科目のShoppingが話題になる。Fellowsはあれこれ見て回るのが好きな人が多くて、先週から一足早く始まったHBSでクラスメートに何人か会ったが、Kennedy Schoolでも同様だったらしい。Sloanで気に入っていることの一つは、HarvardとMIT双方のキャンパスワイドに比較的自由に授業を選べること。特に今日は、ランチタイムと夜にSloan以外の授業に出てみることにした。
- 21F.102/152 Chinese II
 ランチタイムの水曜除く毎日開講。しばらく中国語にブランクがあってついていけるか不安があったが、初級コースで何とかなった。日本での教え方と根本的に違うのは、英語圏の人向けに初級の段階では漢字をほぼ全く使わず、表音文字として中国語会話を習うこと。日本人が漢字を見ながら読み方を覚えるのと対照的。出席予定。
- MAS.533 Imaging Venture
 MIT Media LabのCamera Cultureグループのアイデア等を活用して、100Kに出てFundをとってVentureを興そうという本格的なクラス。火曜夜開催。CMOSセンサの新アプリには非常に興味があるのでWatchしたいが履修見送り。会社の作り方よりも、シーズから市場戦略の立て方の汎用的な方法論を学べそうなiTeamsを取る予定。
- Childbirth Preparation
 番外編だがMIT Medicalが初めて子供を持つ夫婦向けに提供するクラス。火曜夜開講。クラスメートに「MITはそんなことまで教えてるの!」と言わしめ、本当に何でも教えているものだと懐深く感じた。

2010年1月26日火曜日

Spring Elective 履修予定

G-labから戻って数日静養し、改めて春学期の計画を練ることに。Bidding前後でFinanceに偏っていた履修計画を見直し、当初に興味があったクラスのリストを大幅に入れ替えた。初めて学ぶテーマ(Law, Sustainability)や苦手なテーマ(Communication, Culture)の比重を増やした。また、会社に戻ってからも縁があるMedia Lab関係のプロジェクトをやるクラスを一つとることに。

履修予定(registered):
- 15.371 Innovation Teams
 Media Lab等工学系研究者と一緒にシーズオリエンテッドでビジネスプランを書くプロジェクト。
- 15.617 Business Law (Finance)
 英米法をM&AなどFinance関係のケースで学ぶ。Lawは初めて学ぶが何とかモノにしたい。
- 15.913/915 S-Lab
 G-Labでチームプロジェクトが気に入り、Sustainabilityは今後面白そうなテーマ。
- 15.281 Advanced Managerial Communication
 コミュニケーションの授業。ほとんど英語が話せない私にはTech Sales同様に大変なクラスになりそう。
- 15.258 Choice Points
 家族で受けるSloan Fellowsのクラス。
- 15.365 Disruptive Technology
 Utterback先生の授業。春学期はクリステンセンの特別講義もあり、破壊的イノベーションの理解を深めたい。
# HBS抽選結果待ち(1/28)かつ、既にOver credit (48+))なので、1乃至2科目を学期中にdropする。

聴講:
- 15.431 Entrepreneurial Finance
- 15.434 Advanced Corporate Finance
- 15.769 Operation Strategy
- 15.018 (H1) Global Econ Challenges (K. Forbes)
- 15.967 (H1) Economic Policy (L. Thurow) #15.018と同時間帯

2010年1月23日土曜日

G-Labのまとめ

ボストンに戻ってきて、3週間に及んだG-labでの学びを纏めてみることに。1ヶ月近く酷寒のボストンに家族を残して行くには相応の覚悟が要り、履修を決める時点やチーム・プロジェクトを決める途中で、正直なところ何度かやめようかと逡巡した。結果的には、投じた時間以上に実践的な学びのあったと言えるクラスであり、とても楽しかった。

(1)プロジェクト
一番良かった点は、プロジェクト自体が面白かったこと。典型的なG-labは、途上国の起業家によるアメリカ市場参入プロジェクト。一方、私のプロジェクトは、欧州の大企業が東南アジア市場に参入するもので、メーカの海外進出に共通する課題を経験できた。インドネシアの2輪市場は、様々な規制に適応しながら日本メーカ同士が切磋琢磨して40年以上かけて作りこまれた。2輪車はモジュール型産業であるため、地場メーカの低価格化が脅威であり、実際、中国・インドでは日本メーカはシェアを失いつつある。しかし、インドネシアに限っては日本メーカの高い製品品質とアフターサービスで市場から支持されている。ここに、欧州メーカが高級ブランドを活かして、ある程度の物量の見込めるニッチ領域に参入するマーケティング戦略を提言するプロジェクト。日本の電機メーカに勤める自分からすると、攻守入替えて日本メーカの弱点を攻める視点で考えたのが良い頭の訓練になった。また、電子部品も輸送機器も、ディーラ網に纏わるメーカ側の悩みは同じであり、商品の位置づけに合ったパートナを主体的に選ばなくてはダメだというのも、再確認できた。メーカとして課題は理解できても、その解を外部から助言するのはまた容易ではなかった。バリューとして何を提供できたかは微妙だが、実地調査を通じた既存のパートナの改善策に加え、ドバイの砂漠ツアーで偶然会った人の紹介で同業のファミリー企業のオーナに繋げる等、あらゆる手段で新しいパートナ候補数社に人脈を作った。会社でこの手のパートナ・顧客洗い出しに調査会社を使う場合ほど網羅的にやるリソースは無く、経験的に筋の良いパートナを一本釣りした。1ヶ月足らずのFS調査でも何とかなるものだと思った。

(2)色々な人との出会い
また、プロジェクトを通じて、多種多様な人と会えた点も毎日新鮮だった。机に座ってチーム内で議論したり資料を纏める時間は結局最後の半日程度しか取らず、大半の時間を既存の自社・競合ディーラ、メディア(ブロガー等)、法律事務所などを訪問してインタビューしたり、ユーザイベントに参加してのヒアリングに費やした。外に出て色々な人と話せる経験もプロジェクト型授業ならではで、学生という身分の有り難さも実感。会社だったら、競合企業とはまず話すことは無いし、自社製品を記事に出すメディア関係者と会っても利害関係に縛られてしまうから、フリーな視点で業界を多面的に展望する経験は初めて。さらに、インドネシアのMBAの学生達とも友達になれたし、日本企業の方にもお会いして駐在員生活の様子を伺うことが出来て、現地の文化や生活に楽しく触れられた。これは、短期出張や旅行者では体感できないものだった。そして、ホスト企業からは、イタリア人、イギリス人、シンガポール人が来ていた。イタリア人の一人は、Sloan Fellowsの卒業生で、日本メーカの強みについて一般的なことから彼独自の考え方や、欧州企業がアジアで抱える人材確保の悩みなど、色々と話してくれた。ついでに、シンガポール人のSinglishもだいぶ聞けるようになった。

(3)チームメート
最後に、チームメイト。いいメンバに助けられた。Internationalなチームで、スペイン人メンバはイタリア人と言葉もウマも合うことからホスト企業を理解する橋渡しになり、中国人メンバはインタビュー相手のディーラ達が華僑であるところから親近感を得る触媒となった。外国人のチームメンバと文字通り寝食を共にし、相部屋のルームメートとは生活をシェアして、46時中英語で生活するのも初めての経験。私がVaio Type-Pをはじめ飛行機の手荷物に収まる範囲でしか物を持たないのに対して、ルームメートはエルゴノミックな巨大キーボードを持ち込んでおり、コンパクトさとは無縁なアメリカ人らしい生活に驚愕した。食事の金銭感覚や割り勘の方法も人それぞれだし、歩いて移動する自由のないジャカルタ生活をストレスフルと悲鳴を上げるメンバも出てくる。それでも、一緒にバリ島やジョグジャの観光旅行から、朝のゴルフ練習まで、みんなインドネシアをエンジョイしようという点では共通だった。

2010年1月22日金曜日

香港観光

G-Labが終わり帰国の途につく。ボストンとジャカルタ間の行きは東周りでドバイ経由だったが、帰りはさらに地球を一周するように香港からロス経由で。香港トランジットの9時間で観光する。香港への入国は今回がはじめて。空港の到着ロビーに直結するAirport Express (機場快線)で香港島に。1日以内だと往復でHK$100で時間も24分で中心部へ着き、香港は短いトランジット観光にはアクセス抜群。G-Labのチームメートはベトナムと東京で同じくトランジット滞在するが、成田だとこうはいかない。夕方に着いて、飲茶にはすでに時間が遅く、夜まで時間をつぶすため、香港島で急坂を登るトラムでPeak Parkに向かい山頂の展望台から香港島と九龍地区を一望する。中環(Central)駅まで戻って地下鉄に乗ると、金曜の夜のせいかすごい混みようだった。地下鉄は、繁体字で電車の到着時間を分単位で知らせる電光掲示板が共通だったりと台北そっくり。香港で面白かったのは、地下鉄の車内で飲食は厳禁(罰金)だが、携帯はOKで駅を過ぎても電波が切れないところで皆、携帯で話しこんでいる。Felica式のICカード化されているのも便利。九龍(カオルーン)地区では、まず尖沙咀(チムサアチョイ)へ。海沿いから対岸の夜景で有名なところだが、ネイザンロードの上空を埋め尽くす電光看板が映画で見るようで香港らしい。海天堂を見つけて亀ゼリー(HK$50)をいただく。漢方薬っぽい苦い味を期待していたが、それほどでもない。温めてはちみつを入れて食べてる人もいた。路地奥にインド系っぽい両替商がいっぱい並び一角があり、USDの両替はここが一番レートが良かった。さらに旺角(モンコック)駅から女人街に向かうと、Tシャツやチャイナドレスなど色々な夜店がぎっしりと並ぶ。中国語の練習で値切って買い物するつもりだったが、特に買いたい物が見つからず、歩き疲れたので足つぼマッサージ店へ。短い時間だったが十分に香港観光を楽しめた。
空港に戻りキャセイパシフィックのラウンジへ。さらにボストンまで18時間以上のフライトに備えて、ラウンジ内のシャワーを浴び、ヌードルバーでワンタン麺とラーメンを食べて一息つく。キャセイはエコノミーでも米国便は3-3-3配置でプレミアムエコノミー並みの広さで電源も各席にある。JALがワンワールドを離れるのは残念。

2010年1月20日水曜日

インドネシア語(Bahasa)

インドネシア語(Bahasa)を習うことにし、ホテルまで家庭教師に何回か来てもらった。インドネシアに限らずアジアのどこに旅行やビジネスにいっても、初めて会う人との挨拶や、英語を全く話さないタクシーの運転手やお店の値段交渉には、現地の言葉を少し話せた方がいい。フィリピンやマレーシアは別格として、タイなどの他の東南アジア諸国と比べても、インドネシアは英語が話せる人はずっと少ないようだ。インドネシア語は文法も簡単で合理的。「おはよう」~「こんばんは」は、Salamatの後にPagi/Siang/Sore/Malamと時間帯を表す単語が続くだけ。頻出の「ありがとう」はTarima Kasih。これにはSama-samaと答える。聞いていると、同じ単語を2回繋げた言葉がおおい。Hati-hati (小心小心)、Hari-hari (毎日)などで、単数形を2つ繋げると複数形になるとは合理的だし、音感がいいので覚えやすい。時制も無いので中国語と同じく文法はいたってシンプル。あとはよく使う主語と動詞、疑問詞を覚えれば、何となく通じてしまった。片言で話してみると、インドネシアは親日家が多く、正直で素朴な国民性の印象を持った。また、言葉は文化の入り口に過ぎないが、G-Labのチームメートを観察するに、挨拶くらいは覚えようとする人と、全く現地の言葉に興味がなく英語を早口で捲くし立てる人では、異文化への寛容さはそれぞれだった。

2010年1月17日日曜日

ジャカルタ: ホテル生活

G-labのジャカルタ滞在3週間も残り数日となった。中心部に近いサービスアパートメントで、2 Bed Roomを借りている。G-Labはホスト企業が往復フライトに加えてホテル代を負担し、ホテルは一人部屋が基本ルールになっている。私のチームは相部屋だが、広いリビングルームに、それぞれBed/bath roomがつく間取り。Somersetという欧米系サービスアパートメントチェーンで、日本人の駐在員家族で1年以上滞在する人もいるくらいなので、設備は日本人には快適そのもの。日本語の新聞に加えて、NHKの衛星が入り、ニュースだけでなく、大河ドラマ、日本の名峰、プロフェショナルとか好きな番組が見れるのが非常に嬉しい(ボストンでも契約すれば見れるが)。レストランもアジアンのレパートリーが30以上あり美味しくて3週間では飽きないし、ビンタンビールも$4程度と高くないのもいい。インドネシアはイスラム教国なので、ビールを飲めるところが外国人向けホテルしかなく、外出してもビールを飲めないならホテルで食べればいいかと思ってしまう。毎朝、ゴルフ打ちっぱなしにもいけるし、単身ならここに駐在できるなと思う。
写真はプールサイドで。旅行用のVAIO Type-P (Win7)は、移動中の空港や飛行機でも気軽に開け、液晶が高精細で非常に美しい。インドネシアでは珍しがられる。

2010年1月15日金曜日

バリ島観光

今週はインドネシア国内を飛び回っているが、そのハイライトはバリ島。他のG-labプロジェクトでも、だいたいビーチや観光地へ遊びに行っているみたい。初日の午前中早々に仕事を終わらせて、レギャンビーチ沿いのイタリアンレストラン(Zanzibar)へ。シーフードのスープがクラムの滋味がよくでて美味しかった。テラス席で平日のまっ昼間からビールを飲み始めると、すっかりリゾート気分でのんびりすごす。夜はクタの有名なシーフードBBQレストラン(Warung Ramayana)へ。kg単位でえびやイカをおなかいっぱい食べても、1人$10しないお手ごろ価格。ガムラン風の生バンドが席に来て、スペイン語や日本語の歌を何曲かリクエストしたら、「恋人よ~そばにいて」をやってくれて、不覚にも日本に帰りたくなった。バリは、食べ物や景色も日本に似ていて懐かしさがある。
2日目は、バリ島内部へ。バリ島は10年前に来て以来だが、当時はまだウブドとか北部もあまりめメジャーな観光地じゃなかった気がする。ジョグジャ同様に、グループで車をチャーターしてお好みで回る。地球の歩き方は写真いりで細かい見所を抑えていて、個人旅行では頼りになる。終日かけてウブドから北に向かいタンパシリン近くの寺院を巡る。ディルタエンプル寺院は、天然の泉を要所に配置した寺院で、バリの人々が沐浴してお祈りしていた。グヌン・カウィ寺院は、谷間の渓流沿いの涼しい地形の奥を歩くと、大きな石造が山肌に並ぶ巨大寺院で建物はバリ風だが独特な遺跡だ。さらに道沿いの山間地では、すばらしい棚田(ライステラス)をのんびりと眺める。途中にドライバの薦めで何気ないコーヒーショップによると、Luwak Coffeeの説明書きを発見。最初は気づかなかったが、Luwakというたぬきのような動物がコーヒー豆を好んで食べ、体内で自然発酵されたもの。試しに(30,000Rp)飲んでみたが、特に美味しいものではないが、珍しくて話のネタになるので、おみやげとして買ってしまった。さらに山道を進み、雄大なバトゥール山がそびえるそばに、深い緑と青のコントラストが映えるカルデラ湖を見張らせる展望台へ。キンタマーニと呼ばれる高原地帯で、青空だったらさらに素晴らしい景観だろう。たっぷり観光した後は、恒例となったアマンにランチへ。チームメートの女性は、すっかりアマンの虜で、私は旅先で世界中のアマンにランチ行く(泊まるのは高いので)、とのこと。ウブドにあるアマンダリは、谷間の棚田を前にプライベートプール付きのヴィラで調度品もバリ風。ワインで調子もつき、そのままビーチで夕陽を望む。バリ島の新しい一面を見た観光だった。



2010年1月13日水曜日

バンドン: アンティークバイク

今日は日帰りでバンドンへ。ジャカルタからは車で4~5時間の距離。地図で見るとそんなに遠くないのだが、渋滞でジャカルタ市内を脱出するのに1,2時間かかる。ドライブ旅は初めてだったが、有料の高速道路沿いには、意外にもちゃんとレストエリアが整備されていた。途中、山間の谷や斜面に美しい棚田やバナナツリーが広がる。バンドンは、ジョグジャカルタ同様に大学の町で、山近くにあるのでジャカルタよりも涼しく快適だった。
当地のディーラを訪問して、郊外の市場特性をヒアリングし、ユーザーグループと昼食を兼ねてヒアリングする。通訳と、覚えたての簡単なインドネシア語をまじえつつ、エンドユーザの声を面と向かって直接聞くのは面白い体験だった。このグループは、あるバイクのアンティークの愛好家で、50年、60年代のビンテージに手を入れてツーリングしている。塗装も凝っていて、皮ジャンまでおそろいで作って、インドネシアを西(スマトラ)から東(パプア)まで60日かけてツーリングしているそうで、楽しそうだった。

2010年1月12日火曜日

インドネシアの乗り物事情

インドネシアのGDP per capita $2000程度だが、ジャカルタ周辺部は高層ビルやショッピングモールが立ち並び、その数字から想像されるよりもずっと経済的に発展している。ジャカルタは、ちょうど10年前のバンコクくらいの状況だと思う。ただ、市内の交通渋滞は世界でも有数で、夜だと20分で着くところが、朝夕だと1時間というのはざらで、鉄道網やバスなどの公共交通機関が未整備なのが要因。大通りは3人以上乗っていないと走れないレーンを作って対策している。それを目当てに通り沿いには、ヒッチハイクのように指を一本、二本(乗る人数)と立ててfreeで相乗りをリクエストする人が並ぶ。このため、市内に流入する自動車の数の絶対数は減っていない。かといって、北京のように日にちの偶数奇数で乗車制限するほど、中央政府の力もない。むしろ自動車を購買できる世帯層が増えるにつれ、交通渋滞はますます悪化しそうだ。
こんな中、2輪車(バイク)は国民的な乗り物になっている。自動車が渋滞の中をくぐりぬけ、暑い中も大雨が降っても、お構いなしに2人乗り、さらに子供を乗せて3人乗りして、家族の乗り物になっている。2輪市場は年間600万台で、中国(1700万台), インドに続く3番目の規模。市場は、日本のメーカ(Honda, Yamaha, Suzuki)がほぼ市場を独占して互いに凌ぎを削る。100%現地生産で、製品もマーケティングも徹底的にローカライズされており、インドネシア2輪市場は日本メーカに作りこまれた市場といえる。訪問先の一つで、日系と欧州系両方のライセンス生産をしていた工場のオーナが彼自身の80年代の経験を語ってくれたのは面白かった。日系メーカは、日本人の技術者やコンサルタントが工場にやって来て、ラインの効率化を指導したり(トヨタ流のムダの徹底排除で、生産機械を手順どおりに近く並べるなど)、現地ニーズに合わせて頻繁に製品ラインアップをアップデートしていったのに対して、欧州メーカはブランドに頼るだけで製品を20年も変えずシェアを奪われていった。懐古的になるが日本人には元気の出る話を聞けた。
ジャカルタを中心に日本人が1万人も滞在しているそう。日本語のローカル新聞であるじゃかるた新聞もあり、今日のニュースでは、日本の経産大臣と経団連がインドネシアを訪れていて、大臣が「インドネシアの内需は日本の内需だと思って取り組む」と発言していたのには、はっとさせられた。産業インフラ事業への投資が、自動車や家電への投資を呼び、今後も日本企業の進出が加速しそうだ。

2010年1月10日日曜日

ジャカルタ: かもめスーパー

ジャカルタで過ごす日曜日。たった3週間の滞在でも、サービスアパートメントに宿泊して、ローカルの友人が増えると、にわか駐在員の気分。朝からSanayangドライビングレンジへ。週末料金なのか100球で80,000Rp. 前は7番で練習したので、今日は5番。フォームを色々と修正。ビギナーでゴルフ練習について書くのもどうかと思うが、自分なりの練習方法を考えて、たとえば頭を動かさない、振りはゆっくり、野球振りしない(横振りしない)、などなどを同時に直そうとすると難しいので、一つずつ体が覚えたら次の修正を試すとか工夫している。午後は、Blok M近くのかもめスーパーへ。ボストンでも家では日本食なので、インドネシアはいくらアジアンとはいえ、やはり日本食が恋しくなる。かもめスーパーの2階にある醤油ラーメン(40,000Rp)を食べて一息つく。同じ階の本屋でインドネシア語の本も調達。

夜は、ホスト企業のイタリア人と夕食へ。地中海気質の期待を裏切らず、チームメートのスペイン人と一緒になると、いっそう陽気になるブランドマネージャのおじさん。G-labの地域を夏に選ぶとき、数年前からヨーロッパ滞在のプロジェクトはなくなったと聞いて残念だったが、欧州メーカの高級ブランドのアジア進出プロジェクトができたのは幸運だった。彼らが日本企業について本音でどう思っているかを聞くのはとても参考になる。欧州メーカとは、アジアでは日系優位でも、東欧・ロシアや南米ではいい勝負の業界は多いし、共通のライバルとして中国・インドや地場メーカとの対抗策も似た部分がある。

2010年1月9日土曜日

ジョグジャカルタ観光

インドネシアの週末。連日10時過ぎまで食事や打ち合わせで疲労気味だったが、せっかくの休みだったので、ジャカルタから出かけることに。当初は、2日間かけてカリマンタンのパダンカラヤから、ジャングルをリバークルーズで進み、半野生のオラウータンやダヤ人の村を巡る秘境へ行きたくて、現地の代理店(Kalimantan Tour)で船をチャータする計画を立てていた。直前になってチームの女性陣の意見に押され、ジョグジャカルタ(ジョグジャと略す)へ行くことに。ボロブドゥール遺跡、プランバナン遺跡という2つの世界遺産を一日で巡れるということで、日本人観光客にもバリ島からの日帰りツアーが人気のようだ。今回の移動は、空港でタクシーを一日チャータ(550,000Rp)。
まずはボロブドゥール遺跡へ。8-9世紀に建てられた石造りの仏教遺跡で、広い森の中に方形型の回廊を重ねる。イスラム国の中で仏教遺跡の保存がいいのは、1000年以上の間、森の中で地下に埋まっていたため。インドを同じく起源とする日本の木造仏教建築と比べると、仏像や回廊という設計思想は同じでも、半円型のストゥーバが並びまったく違う外観だ。ブッダの一生を描いたレリーフが回廊沿いに時計回りに続いていて、昔読んだ手塚治虫マンガの場面が思い起こされた。


昼食は、アマンジオホテルへ。小高い丘にあるレストランのテラスは、ボロブドゥール遺跡を遠く一直線に見渡せるようにアラインして設計されている。会計を済ましたところで、時間があればお部屋を見ませんかと聞かれた。各部屋のプールからも遺跡が望める、独特な森のリゾートの雰囲気。リピータへの気配りなのか、さすがアマンというところか。

午後は、あいにくの雨だったが、プランバナン遺跡へ。こちらは、ヒンズー教の遺跡で垂直に高い塔が並ぶ構造。おみやげにバティックを買って空港に戻る。時間があれば市内の王宮やバティック工房を見学したかったが、一日でも十分に満喫できた。来週は、バンドンとバリ島の会社を訪問する予定になっていて、時間があれば少し観光できそうだ。

2010年1月7日木曜日

G-lab: Indonesian MBA

インドネシアのMBA学生達と夕食。夕食も今日が2回目でFacebookでも写真をシェアしたりして、すっかり同級生のようなノリになっている。ボストンにいる間にインドネシアの知り合いを探すうち、私はまったく思いつかなかったが、チームメートがLinkedinやFacebookでインドネシアのMBA学生にオンラインでコンタクトした。インドネシアには、教育の規制があるらしく、MBA学位は非常に少なくて、英語で教えているのは一校しかない。Swiss German Universityという学校で、ひとクラス15人で3年間のパートタイムMBA。G-labプロジェクトに興味をもってくれた学生達が自主的にFocus Groupを編成して、商品ユーザ(あるメーカのバイク愛好家グループ)を集めたイベントまで開催した。その行動力に驚くともに、夕食を囲んだ話もインドネシアの将来を彼らなりに考えていて面白い。
今日の夕食は、そのメンバの出身地であるスマトラのパダン料理。席に着くなり、何も注文していないのに、テーブルに収まりきらないほど大量にお皿が山積みされていく。写真にはどう撮ってもすべてのお皿が写りきらないほど。食べた分だけ支払うシステムらしく、メニューごとに値段も違うようで、お会計時に細かくカウントしていた。

2010年1月6日水曜日

Golf: ジャカルタ

今日は朝が10時からと少し遅めだったので、ドライビングレンジへ。G-labのチームメート達は、ランニングマシンでエキササイズを毎日欠かさないので、自分もちょっとは体を動かそうと思いでかけることに。ジャカルタはGolden Triangleという中心部のほど近くにも、ドライビングレンジとコースが色々あり、出勤前の練習にはうってつけだろう。ボールも100球で40,000Rp($4)の安さ。自称コーチのおじさんが片言の日本語だが、あれこれフォームを指南してくれて(チップはかかるけど)、いい練習になった。

2010年1月5日火曜日

15.389B G-lab: ジャカルタ

G-Labのインドネシアでのプロジェクトが始まった。このプロジェクトは、コネクションを広げることがひとつの目的で、外回りをしてたくさんの関係者と会って話をする。移動が多く相手の都合次第のところもあるので、現地入りするまではロジスティックに自信がなかった。が、プロジェクトホスト企業のローカルパートナが手際よくセットアップしてくれ、初日からフルスロットル状態。専用車と通訳もつき、日本企業が現地駐在員のサポートで海外出張するのと変わらないじゃないかと思う。交通渋滞でちょっとの距離でも移動時間が取られるのが困りものだが。
実際に競合メーカのディーラを周って取材したり、来店した一般ユーザに製品を比べて比較してもらったりすると、見聞きしていたことが確認できるだけでなく新たな発見もある。ディーラとメーカの関係なんかも、自分がいた業種とは微妙に契約が違うし、メーカごとにディーラ支配力も如実に違ってて、Sales target数量も伸びているメーカの方がトップダウンでforecastを決めているようだ。B2Cのマーケティングは私は初めての経験で、エンドユーザの声を身を持って聞くのも新鮮だ。若いチームメイトは経験が無くても、授業で習ったフレームワークやアンケートの方法論をまじめに活用しているのを見ると、結構MBAで習ったことも役に立つんだなと思う。
また、食べ物もアジアンはやっぱり口にあう。ナシゴレンが有名だが、スープ入り麺のミークア(Mie Kuah)も昼食にはちょうど良い。ミークアの写真はこちら。

2010年1月2日土曜日

ドバイ観光

G-labのインドネシア行き経由地のドバイで1泊ストップオーバ。1日しかなく見所を駆け足で。
まずは建物編。昨年末のドバイショックのおかげもあり、ドバイ市内の超高層ビル建築の発展ぶりを私も知るところとなった。台北101を抜いた世界一高いBurj Dubai、世界一広いDubai mall (巨大な水族館がモールの中にあるほど)、7つ星と呼ばれる超高級ホテルBurj Al Arabと、桁違いにリッチな建物が人口100万クラスの都市に集中している。



新市街のピカピカさに驚く一方で、旧市街はアジアらしいカオスぶりに懐かしさを感じた。渋い歴史展示のDubai Museumから、Creekを渡し舟で対岸に渡ってGold Soukへ。アーケードの商店街から無数の路地を分けて、金銀アクセサリー、スパイス、洋服屋が密集している。立ち止まって行き交う人を観察すると外国人の多いUAEの人口構成が実感できる。



夕方からは、Desert Safariへ。広い砂漠をジェットコースタのように走る、定番の観光コース。写真は、Hummer H2のタイヤの空気を抜いているところ。走っていると横転するのではないかとか結構ハラハラできる。今度行く機会があったら自分で運転してみたい。砂漠走破の後は、野営地で夕陽を眺めつつ、らくだ乗りや水タバコなどアトラクションで過ごし、ディナーとベリーダンスを見学する。一人でツアー参加したのは久しぶりだったが、偶然、インドネシアで訪問希望先を紹介してくれるという人に会い、人脈を大事にするイスラム圏に足を踏み入れたんだと実感した。



2010年1月1日金曜日

今年もよろしくお願いします

年末はクリスマス会や少し早いお正月料理を友人家族と楽しみ十分に休養できた。Sloan Fellowsで一番気に入っているところは、家族を含むコミュニティが本当に充実していて、みないい人ばかりだということ。Fellows全体でも頻繁に家族イベントがあるし、特に日本人Fellowsのご家族の皆さんには子供との接し方をはじめ人生の楽しみ方について学ぶ機会が多い。
元旦からドバイへのフライト。飛行機から初日の出を望む。今年も皆様にいい年になりますように。