2010年1月26日火曜日

Spring Elective 履修予定

G-labから戻って数日静養し、改めて春学期の計画を練ることに。Bidding前後でFinanceに偏っていた履修計画を見直し、当初に興味があったクラスのリストを大幅に入れ替えた。初めて学ぶテーマ(Law, Sustainability)や苦手なテーマ(Communication, Culture)の比重を増やした。また、会社に戻ってからも縁があるMedia Lab関係のプロジェクトをやるクラスを一つとることに。

履修予定(registered):
- 15.371 Innovation Teams
 Media Lab等工学系研究者と一緒にシーズオリエンテッドでビジネスプランを書くプロジェクト。
- 15.617 Business Law (Finance)
 英米法をM&AなどFinance関係のケースで学ぶ。Lawは初めて学ぶが何とかモノにしたい。
- 15.913/915 S-Lab
 G-Labでチームプロジェクトが気に入り、Sustainabilityは今後面白そうなテーマ。
- 15.281 Advanced Managerial Communication
 コミュニケーションの授業。ほとんど英語が話せない私にはTech Sales同様に大変なクラスになりそう。
- 15.258 Choice Points
 家族で受けるSloan Fellowsのクラス。
- 15.365 Disruptive Technology
 Utterback先生の授業。春学期はクリステンセンの特別講義もあり、破壊的イノベーションの理解を深めたい。
# HBS抽選結果待ち(1/28)かつ、既にOver credit (48+))なので、1乃至2科目を学期中にdropする。

聴講:
- 15.431 Entrepreneurial Finance
- 15.434 Advanced Corporate Finance
- 15.769 Operation Strategy
- 15.018 (H1) Global Econ Challenges (K. Forbes)
- 15.967 (H1) Economic Policy (L. Thurow) #15.018と同時間帯

2010年1月23日土曜日

G-Labのまとめ

ボストンに戻ってきて、3週間に及んだG-labでの学びを纏めてみることに。1ヶ月近く酷寒のボストンに家族を残して行くには相応の覚悟が要り、履修を決める時点やチーム・プロジェクトを決める途中で、正直なところ何度かやめようかと逡巡した。結果的には、投じた時間以上に実践的な学びのあったと言えるクラスであり、とても楽しかった。

(1)プロジェクト
一番良かった点は、プロジェクト自体が面白かったこと。典型的なG-labは、途上国の起業家によるアメリカ市場参入プロジェクト。一方、私のプロジェクトは、欧州の大企業が東南アジア市場に参入するもので、メーカの海外進出に共通する課題を経験できた。インドネシアの2輪市場は、様々な規制に適応しながら日本メーカ同士が切磋琢磨して40年以上かけて作りこまれた。2輪車はモジュール型産業であるため、地場メーカの低価格化が脅威であり、実際、中国・インドでは日本メーカはシェアを失いつつある。しかし、インドネシアに限っては日本メーカの高い製品品質とアフターサービスで市場から支持されている。ここに、欧州メーカが高級ブランドを活かして、ある程度の物量の見込めるニッチ領域に参入するマーケティング戦略を提言するプロジェクト。日本の電機メーカに勤める自分からすると、攻守入替えて日本メーカの弱点を攻める視点で考えたのが良い頭の訓練になった。また、電子部品も輸送機器も、ディーラ網に纏わるメーカ側の悩みは同じであり、商品の位置づけに合ったパートナを主体的に選ばなくてはダメだというのも、再確認できた。メーカとして課題は理解できても、その解を外部から助言するのはまた容易ではなかった。バリューとして何を提供できたかは微妙だが、実地調査を通じた既存のパートナの改善策に加え、ドバイの砂漠ツアーで偶然会った人の紹介で同業のファミリー企業のオーナに繋げる等、あらゆる手段で新しいパートナ候補数社に人脈を作った。会社でこの手のパートナ・顧客洗い出しに調査会社を使う場合ほど網羅的にやるリソースは無く、経験的に筋の良いパートナを一本釣りした。1ヶ月足らずのFS調査でも何とかなるものだと思った。

(2)色々な人との出会い
また、プロジェクトを通じて、多種多様な人と会えた点も毎日新鮮だった。机に座ってチーム内で議論したり資料を纏める時間は結局最後の半日程度しか取らず、大半の時間を既存の自社・競合ディーラ、メディア(ブロガー等)、法律事務所などを訪問してインタビューしたり、ユーザイベントに参加してのヒアリングに費やした。外に出て色々な人と話せる経験もプロジェクト型授業ならではで、学生という身分の有り難さも実感。会社だったら、競合企業とはまず話すことは無いし、自社製品を記事に出すメディア関係者と会っても利害関係に縛られてしまうから、フリーな視点で業界を多面的に展望する経験は初めて。さらに、インドネシアのMBAの学生達とも友達になれたし、日本企業の方にもお会いして駐在員生活の様子を伺うことが出来て、現地の文化や生活に楽しく触れられた。これは、短期出張や旅行者では体感できないものだった。そして、ホスト企業からは、イタリア人、イギリス人、シンガポール人が来ていた。イタリア人の一人は、Sloan Fellowsの卒業生で、日本メーカの強みについて一般的なことから彼独自の考え方や、欧州企業がアジアで抱える人材確保の悩みなど、色々と話してくれた。ついでに、シンガポール人のSinglishもだいぶ聞けるようになった。

(3)チームメート
最後に、チームメイト。いいメンバに助けられた。Internationalなチームで、スペイン人メンバはイタリア人と言葉もウマも合うことからホスト企業を理解する橋渡しになり、中国人メンバはインタビュー相手のディーラ達が華僑であるところから親近感を得る触媒となった。外国人のチームメンバと文字通り寝食を共にし、相部屋のルームメートとは生活をシェアして、46時中英語で生活するのも初めての経験。私がVaio Type-Pをはじめ飛行機の手荷物に収まる範囲でしか物を持たないのに対して、ルームメートはエルゴノミックな巨大キーボードを持ち込んでおり、コンパクトさとは無縁なアメリカ人らしい生活に驚愕した。食事の金銭感覚や割り勘の方法も人それぞれだし、歩いて移動する自由のないジャカルタ生活をストレスフルと悲鳴を上げるメンバも出てくる。それでも、一緒にバリ島やジョグジャの観光旅行から、朝のゴルフ練習まで、みんなインドネシアをエンジョイしようという点では共通だった。

2010年1月22日金曜日

香港観光

G-Labが終わり帰国の途につく。ボストンとジャカルタ間の行きは東周りでドバイ経由だったが、帰りはさらに地球を一周するように香港からロス経由で。香港トランジットの9時間で観光する。香港への入国は今回がはじめて。空港の到着ロビーに直結するAirport Express (機場快線)で香港島に。1日以内だと往復でHK$100で時間も24分で中心部へ着き、香港は短いトランジット観光にはアクセス抜群。G-Labのチームメートはベトナムと東京で同じくトランジット滞在するが、成田だとこうはいかない。夕方に着いて、飲茶にはすでに時間が遅く、夜まで時間をつぶすため、香港島で急坂を登るトラムでPeak Parkに向かい山頂の展望台から香港島と九龍地区を一望する。中環(Central)駅まで戻って地下鉄に乗ると、金曜の夜のせいかすごい混みようだった。地下鉄は、繁体字で電車の到着時間を分単位で知らせる電光掲示板が共通だったりと台北そっくり。香港で面白かったのは、地下鉄の車内で飲食は厳禁(罰金)だが、携帯はOKで駅を過ぎても電波が切れないところで皆、携帯で話しこんでいる。Felica式のICカード化されているのも便利。九龍(カオルーン)地区では、まず尖沙咀(チムサアチョイ)へ。海沿いから対岸の夜景で有名なところだが、ネイザンロードの上空を埋め尽くす電光看板が映画で見るようで香港らしい。海天堂を見つけて亀ゼリー(HK$50)をいただく。漢方薬っぽい苦い味を期待していたが、それほどでもない。温めてはちみつを入れて食べてる人もいた。路地奥にインド系っぽい両替商がいっぱい並び一角があり、USDの両替はここが一番レートが良かった。さらに旺角(モンコック)駅から女人街に向かうと、Tシャツやチャイナドレスなど色々な夜店がぎっしりと並ぶ。中国語の練習で値切って買い物するつもりだったが、特に買いたい物が見つからず、歩き疲れたので足つぼマッサージ店へ。短い時間だったが十分に香港観光を楽しめた。
空港に戻りキャセイパシフィックのラウンジへ。さらにボストンまで18時間以上のフライトに備えて、ラウンジ内のシャワーを浴び、ヌードルバーでワンタン麺とラーメンを食べて一息つく。キャセイはエコノミーでも米国便は3-3-3配置でプレミアムエコノミー並みの広さで電源も各席にある。JALがワンワールドを離れるのは残念。

2010年1月20日水曜日

インドネシア語(Bahasa)

インドネシア語(Bahasa)を習うことにし、ホテルまで家庭教師に何回か来てもらった。インドネシアに限らずアジアのどこに旅行やビジネスにいっても、初めて会う人との挨拶や、英語を全く話さないタクシーの運転手やお店の値段交渉には、現地の言葉を少し話せた方がいい。フィリピンやマレーシアは別格として、タイなどの他の東南アジア諸国と比べても、インドネシアは英語が話せる人はずっと少ないようだ。インドネシア語は文法も簡単で合理的。「おはよう」~「こんばんは」は、Salamatの後にPagi/Siang/Sore/Malamと時間帯を表す単語が続くだけ。頻出の「ありがとう」はTarima Kasih。これにはSama-samaと答える。聞いていると、同じ単語を2回繋げた言葉がおおい。Hati-hati (小心小心)、Hari-hari (毎日)などで、単数形を2つ繋げると複数形になるとは合理的だし、音感がいいので覚えやすい。時制も無いので中国語と同じく文法はいたってシンプル。あとはよく使う主語と動詞、疑問詞を覚えれば、何となく通じてしまった。片言で話してみると、インドネシアは親日家が多く、正直で素朴な国民性の印象を持った。また、言葉は文化の入り口に過ぎないが、G-Labのチームメートを観察するに、挨拶くらいは覚えようとする人と、全く現地の言葉に興味がなく英語を早口で捲くし立てる人では、異文化への寛容さはそれぞれだった。

2010年1月17日日曜日

ジャカルタ: ホテル生活

G-labのジャカルタ滞在3週間も残り数日となった。中心部に近いサービスアパートメントで、2 Bed Roomを借りている。G-Labはホスト企業が往復フライトに加えてホテル代を負担し、ホテルは一人部屋が基本ルールになっている。私のチームは相部屋だが、広いリビングルームに、それぞれBed/bath roomがつく間取り。Somersetという欧米系サービスアパートメントチェーンで、日本人の駐在員家族で1年以上滞在する人もいるくらいなので、設備は日本人には快適そのもの。日本語の新聞に加えて、NHKの衛星が入り、ニュースだけでなく、大河ドラマ、日本の名峰、プロフェショナルとか好きな番組が見れるのが非常に嬉しい(ボストンでも契約すれば見れるが)。レストランもアジアンのレパートリーが30以上あり美味しくて3週間では飽きないし、ビンタンビールも$4程度と高くないのもいい。インドネシアはイスラム教国なので、ビールを飲めるところが外国人向けホテルしかなく、外出してもビールを飲めないならホテルで食べればいいかと思ってしまう。毎朝、ゴルフ打ちっぱなしにもいけるし、単身ならここに駐在できるなと思う。
写真はプールサイドで。旅行用のVAIO Type-P (Win7)は、移動中の空港や飛行機でも気軽に開け、液晶が高精細で非常に美しい。インドネシアでは珍しがられる。

2010年1月15日金曜日

バリ島観光

今週はインドネシア国内を飛び回っているが、そのハイライトはバリ島。他のG-labプロジェクトでも、だいたいビーチや観光地へ遊びに行っているみたい。初日の午前中早々に仕事を終わらせて、レギャンビーチ沿いのイタリアンレストラン(Zanzibar)へ。シーフードのスープがクラムの滋味がよくでて美味しかった。テラス席で平日のまっ昼間からビールを飲み始めると、すっかりリゾート気分でのんびりすごす。夜はクタの有名なシーフードBBQレストラン(Warung Ramayana)へ。kg単位でえびやイカをおなかいっぱい食べても、1人$10しないお手ごろ価格。ガムラン風の生バンドが席に来て、スペイン語や日本語の歌を何曲かリクエストしたら、「恋人よ~そばにいて」をやってくれて、不覚にも日本に帰りたくなった。バリは、食べ物や景色も日本に似ていて懐かしさがある。
2日目は、バリ島内部へ。バリ島は10年前に来て以来だが、当時はまだウブドとか北部もあまりめメジャーな観光地じゃなかった気がする。ジョグジャ同様に、グループで車をチャーターしてお好みで回る。地球の歩き方は写真いりで細かい見所を抑えていて、個人旅行では頼りになる。終日かけてウブドから北に向かいタンパシリン近くの寺院を巡る。ディルタエンプル寺院は、天然の泉を要所に配置した寺院で、バリの人々が沐浴してお祈りしていた。グヌン・カウィ寺院は、谷間の渓流沿いの涼しい地形の奥を歩くと、大きな石造が山肌に並ぶ巨大寺院で建物はバリ風だが独特な遺跡だ。さらに道沿いの山間地では、すばらしい棚田(ライステラス)をのんびりと眺める。途中にドライバの薦めで何気ないコーヒーショップによると、Luwak Coffeeの説明書きを発見。最初は気づかなかったが、Luwakというたぬきのような動物がコーヒー豆を好んで食べ、体内で自然発酵されたもの。試しに(30,000Rp)飲んでみたが、特に美味しいものではないが、珍しくて話のネタになるので、おみやげとして買ってしまった。さらに山道を進み、雄大なバトゥール山がそびえるそばに、深い緑と青のコントラストが映えるカルデラ湖を見張らせる展望台へ。キンタマーニと呼ばれる高原地帯で、青空だったらさらに素晴らしい景観だろう。たっぷり観光した後は、恒例となったアマンにランチへ。チームメートの女性は、すっかりアマンの虜で、私は旅先で世界中のアマンにランチ行く(泊まるのは高いので)、とのこと。ウブドにあるアマンダリは、谷間の棚田を前にプライベートプール付きのヴィラで調度品もバリ風。ワインで調子もつき、そのままビーチで夕陽を望む。バリ島の新しい一面を見た観光だった。



2010年1月13日水曜日

バンドン: アンティークバイク

今日は日帰りでバンドンへ。ジャカルタからは車で4~5時間の距離。地図で見るとそんなに遠くないのだが、渋滞でジャカルタ市内を脱出するのに1,2時間かかる。ドライブ旅は初めてだったが、有料の高速道路沿いには、意外にもちゃんとレストエリアが整備されていた。途中、山間の谷や斜面に美しい棚田やバナナツリーが広がる。バンドンは、ジョグジャカルタ同様に大学の町で、山近くにあるのでジャカルタよりも涼しく快適だった。
当地のディーラを訪問して、郊外の市場特性をヒアリングし、ユーザーグループと昼食を兼ねてヒアリングする。通訳と、覚えたての簡単なインドネシア語をまじえつつ、エンドユーザの声を面と向かって直接聞くのは面白い体験だった。このグループは、あるバイクのアンティークの愛好家で、50年、60年代のビンテージに手を入れてツーリングしている。塗装も凝っていて、皮ジャンまでおそろいで作って、インドネシアを西(スマトラ)から東(パプア)まで60日かけてツーリングしているそうで、楽しそうだった。

2010年1月12日火曜日

インドネシアの乗り物事情

インドネシアのGDP per capita $2000程度だが、ジャカルタ周辺部は高層ビルやショッピングモールが立ち並び、その数字から想像されるよりもずっと経済的に発展している。ジャカルタは、ちょうど10年前のバンコクくらいの状況だと思う。ただ、市内の交通渋滞は世界でも有数で、夜だと20分で着くところが、朝夕だと1時間というのはざらで、鉄道網やバスなどの公共交通機関が未整備なのが要因。大通りは3人以上乗っていないと走れないレーンを作って対策している。それを目当てに通り沿いには、ヒッチハイクのように指を一本、二本(乗る人数)と立ててfreeで相乗りをリクエストする人が並ぶ。このため、市内に流入する自動車の数の絶対数は減っていない。かといって、北京のように日にちの偶数奇数で乗車制限するほど、中央政府の力もない。むしろ自動車を購買できる世帯層が増えるにつれ、交通渋滞はますます悪化しそうだ。
こんな中、2輪車(バイク)は国民的な乗り物になっている。自動車が渋滞の中をくぐりぬけ、暑い中も大雨が降っても、お構いなしに2人乗り、さらに子供を乗せて3人乗りして、家族の乗り物になっている。2輪市場は年間600万台で、中国(1700万台), インドに続く3番目の規模。市場は、日本のメーカ(Honda, Yamaha, Suzuki)がほぼ市場を独占して互いに凌ぎを削る。100%現地生産で、製品もマーケティングも徹底的にローカライズされており、インドネシア2輪市場は日本メーカに作りこまれた市場といえる。訪問先の一つで、日系と欧州系両方のライセンス生産をしていた工場のオーナが彼自身の80年代の経験を語ってくれたのは面白かった。日系メーカは、日本人の技術者やコンサルタントが工場にやって来て、ラインの効率化を指導したり(トヨタ流のムダの徹底排除で、生産機械を手順どおりに近く並べるなど)、現地ニーズに合わせて頻繁に製品ラインアップをアップデートしていったのに対して、欧州メーカはブランドに頼るだけで製品を20年も変えずシェアを奪われていった。懐古的になるが日本人には元気の出る話を聞けた。
ジャカルタを中心に日本人が1万人も滞在しているそう。日本語のローカル新聞であるじゃかるた新聞もあり、今日のニュースでは、日本の経産大臣と経団連がインドネシアを訪れていて、大臣が「インドネシアの内需は日本の内需だと思って取り組む」と発言していたのには、はっとさせられた。産業インフラ事業への投資が、自動車や家電への投資を呼び、今後も日本企業の進出が加速しそうだ。

2010年1月10日日曜日

ジャカルタ: かもめスーパー

ジャカルタで過ごす日曜日。たった3週間の滞在でも、サービスアパートメントに宿泊して、ローカルの友人が増えると、にわか駐在員の気分。朝からSanayangドライビングレンジへ。週末料金なのか100球で80,000Rp. 前は7番で練習したので、今日は5番。フォームを色々と修正。ビギナーでゴルフ練習について書くのもどうかと思うが、自分なりの練習方法を考えて、たとえば頭を動かさない、振りはゆっくり、野球振りしない(横振りしない)、などなどを同時に直そうとすると難しいので、一つずつ体が覚えたら次の修正を試すとか工夫している。午後は、Blok M近くのかもめスーパーへ。ボストンでも家では日本食なので、インドネシアはいくらアジアンとはいえ、やはり日本食が恋しくなる。かもめスーパーの2階にある醤油ラーメン(40,000Rp)を食べて一息つく。同じ階の本屋でインドネシア語の本も調達。

夜は、ホスト企業のイタリア人と夕食へ。地中海気質の期待を裏切らず、チームメートのスペイン人と一緒になると、いっそう陽気になるブランドマネージャのおじさん。G-labの地域を夏に選ぶとき、数年前からヨーロッパ滞在のプロジェクトはなくなったと聞いて残念だったが、欧州メーカの高級ブランドのアジア進出プロジェクトができたのは幸運だった。彼らが日本企業について本音でどう思っているかを聞くのはとても参考になる。欧州メーカとは、アジアでは日系優位でも、東欧・ロシアや南米ではいい勝負の業界は多いし、共通のライバルとして中国・インドや地場メーカとの対抗策も似た部分がある。

2010年1月9日土曜日

ジョグジャカルタ観光

インドネシアの週末。連日10時過ぎまで食事や打ち合わせで疲労気味だったが、せっかくの休みだったので、ジャカルタから出かけることに。当初は、2日間かけてカリマンタンのパダンカラヤから、ジャングルをリバークルーズで進み、半野生のオラウータンやダヤ人の村を巡る秘境へ行きたくて、現地の代理店(Kalimantan Tour)で船をチャータする計画を立てていた。直前になってチームの女性陣の意見に押され、ジョグジャカルタ(ジョグジャと略す)へ行くことに。ボロブドゥール遺跡、プランバナン遺跡という2つの世界遺産を一日で巡れるということで、日本人観光客にもバリ島からの日帰りツアーが人気のようだ。今回の移動は、空港でタクシーを一日チャータ(550,000Rp)。
まずはボロブドゥール遺跡へ。8-9世紀に建てられた石造りの仏教遺跡で、広い森の中に方形型の回廊を重ねる。イスラム国の中で仏教遺跡の保存がいいのは、1000年以上の間、森の中で地下に埋まっていたため。インドを同じく起源とする日本の木造仏教建築と比べると、仏像や回廊という設計思想は同じでも、半円型のストゥーバが並びまったく違う外観だ。ブッダの一生を描いたレリーフが回廊沿いに時計回りに続いていて、昔読んだ手塚治虫マンガの場面が思い起こされた。


昼食は、アマンジオホテルへ。小高い丘にあるレストランのテラスは、ボロブドゥール遺跡を遠く一直線に見渡せるようにアラインして設計されている。会計を済ましたところで、時間があればお部屋を見ませんかと聞かれた。各部屋のプールからも遺跡が望める、独特な森のリゾートの雰囲気。リピータへの気配りなのか、さすがアマンというところか。

午後は、あいにくの雨だったが、プランバナン遺跡へ。こちらは、ヒンズー教の遺跡で垂直に高い塔が並ぶ構造。おみやげにバティックを買って空港に戻る。時間があれば市内の王宮やバティック工房を見学したかったが、一日でも十分に満喫できた。来週は、バンドンとバリ島の会社を訪問する予定になっていて、時間があれば少し観光できそうだ。

2010年1月7日木曜日

G-lab: Indonesian MBA

インドネシアのMBA学生達と夕食。夕食も今日が2回目でFacebookでも写真をシェアしたりして、すっかり同級生のようなノリになっている。ボストンにいる間にインドネシアの知り合いを探すうち、私はまったく思いつかなかったが、チームメートがLinkedinやFacebookでインドネシアのMBA学生にオンラインでコンタクトした。インドネシアには、教育の規制があるらしく、MBA学位は非常に少なくて、英語で教えているのは一校しかない。Swiss German Universityという学校で、ひとクラス15人で3年間のパートタイムMBA。G-labプロジェクトに興味をもってくれた学生達が自主的にFocus Groupを編成して、商品ユーザ(あるメーカのバイク愛好家グループ)を集めたイベントまで開催した。その行動力に驚くともに、夕食を囲んだ話もインドネシアの将来を彼らなりに考えていて面白い。
今日の夕食は、そのメンバの出身地であるスマトラのパダン料理。席に着くなり、何も注文していないのに、テーブルに収まりきらないほど大量にお皿が山積みされていく。写真にはどう撮ってもすべてのお皿が写りきらないほど。食べた分だけ支払うシステムらしく、メニューごとに値段も違うようで、お会計時に細かくカウントしていた。

2010年1月6日水曜日

Golf: ジャカルタ

今日は朝が10時からと少し遅めだったので、ドライビングレンジへ。G-labのチームメート達は、ランニングマシンでエキササイズを毎日欠かさないので、自分もちょっとは体を動かそうと思いでかけることに。ジャカルタはGolden Triangleという中心部のほど近くにも、ドライビングレンジとコースが色々あり、出勤前の練習にはうってつけだろう。ボールも100球で40,000Rp($4)の安さ。自称コーチのおじさんが片言の日本語だが、あれこれフォームを指南してくれて(チップはかかるけど)、いい練習になった。

2010年1月5日火曜日

15.389B G-lab: ジャカルタ

G-Labのインドネシアでのプロジェクトが始まった。このプロジェクトは、コネクションを広げることがひとつの目的で、外回りをしてたくさんの関係者と会って話をする。移動が多く相手の都合次第のところもあるので、現地入りするまではロジスティックに自信がなかった。が、プロジェクトホスト企業のローカルパートナが手際よくセットアップしてくれ、初日からフルスロットル状態。専用車と通訳もつき、日本企業が現地駐在員のサポートで海外出張するのと変わらないじゃないかと思う。交通渋滞でちょっとの距離でも移動時間が取られるのが困りものだが。
実際に競合メーカのディーラを周って取材したり、来店した一般ユーザに製品を比べて比較してもらったりすると、見聞きしていたことが確認できるだけでなく新たな発見もある。ディーラとメーカの関係なんかも、自分がいた業種とは微妙に契約が違うし、メーカごとにディーラ支配力も如実に違ってて、Sales target数量も伸びているメーカの方がトップダウンでforecastを決めているようだ。B2Cのマーケティングは私は初めての経験で、エンドユーザの声を身を持って聞くのも新鮮だ。若いチームメイトは経験が無くても、授業で習ったフレームワークやアンケートの方法論をまじめに活用しているのを見ると、結構MBAで習ったことも役に立つんだなと思う。
また、食べ物もアジアンはやっぱり口にあう。ナシゴレンが有名だが、スープ入り麺のミークア(Mie Kuah)も昼食にはちょうど良い。ミークアの写真はこちら。

2010年1月2日土曜日

ドバイ観光

G-labのインドネシア行き経由地のドバイで1泊ストップオーバ。1日しかなく見所を駆け足で。
まずは建物編。昨年末のドバイショックのおかげもあり、ドバイ市内の超高層ビル建築の発展ぶりを私も知るところとなった。台北101を抜いた世界一高いBurj Dubai、世界一広いDubai mall (巨大な水族館がモールの中にあるほど)、7つ星と呼ばれる超高級ホテルBurj Al Arabと、桁違いにリッチな建物が人口100万クラスの都市に集中している。



新市街のピカピカさに驚く一方で、旧市街はアジアらしいカオスぶりに懐かしさを感じた。渋い歴史展示のDubai Museumから、Creekを渡し舟で対岸に渡ってGold Soukへ。アーケードの商店街から無数の路地を分けて、金銀アクセサリー、スパイス、洋服屋が密集している。立ち止まって行き交う人を観察すると外国人の多いUAEの人口構成が実感できる。



夕方からは、Desert Safariへ。広い砂漠をジェットコースタのように走る、定番の観光コース。写真は、Hummer H2のタイヤの空気を抜いているところ。走っていると横転するのではないかとか結構ハラハラできる。今度行く機会があったら自分で運転してみたい。砂漠走破の後は、野営地で夕陽を眺めつつ、らくだ乗りや水タバコなどアトラクションで過ごし、ディナーとベリーダンスを見学する。一人でツアー参加したのは久しぶりだったが、偶然、インドネシアで訪問希望先を紹介してくれるという人に会い、人脈を大事にするイスラム圏に足を踏み入れたんだと実感した。



2010年1月1日金曜日

今年もよろしくお願いします

年末はクリスマス会や少し早いお正月料理を友人家族と楽しみ十分に休養できた。Sloan Fellowsで一番気に入っているところは、家族を含むコミュニティが本当に充実していて、みないい人ばかりだということ。Fellows全体でも頻繁に家族イベントがあるし、特に日本人Fellowsのご家族の皆さんには子供との接し方をはじめ人生の楽しみ方について学ぶ機会が多い。
元旦からドバイへのフライト。飛行機から初日の出を望む。今年も皆様にいい年になりますように。