2010年5月27日木曜日

Brazil (4日目)

ブラジル最終日は、ブラジル最大の富豪で個人資産3兆円を誇るEike Batista氏の講演だった。同氏の保有する客船での講演。金鉱山をあてた後、港湾インフラ開発やオフショア石油採掘の事業を次々と立ち上げている。石油はまだ出ていないそうだが、韓国や中国企業と資本・技術提携したり、なかなか大胆に開発事業を進めている印象をもった。同氏によると、ブラジルのインフラは1960年代のアメリカと同じ段階で、至るところに非効率さが残っており、そこに海外から技術導入して解決する事業機会が豊富にあるという考えだった。これは同国での短い滞在でも色々実感できた。ロジスティック一つとっても、交通渋滞がひどいというハード面だけでなく、現地ツアー会社のアレンジがいい加減だったりソフト面の問題も多かった。また、帰りの空港にも、レストランが1箇所しかないのに加え、国際線の到着便と出発便の乗客が入れ違うというオペレーションにも驚かされた。ラテン的な陽気ないい国であるが、海外の技術や経営ノウハウを活用して、その潜在的な経済力を発揮するには相当の時間がかかりそうである。

2010年5月26日水曜日

Brazil (3日目)

サンパウロからリオデジャネイロへの移動日。広大な平原に面的に住宅が続くサンパウロと対照的に、リオは港湾の周囲に聳える山々を縫うようにビルや住宅がひしめき合う印象だ。リオ市長の講演が目玉であったが、キャンセルされてしまい、午後は観光になった。リオといえばキリスト像のあるコルコバードが有名だが、改修中でしかも当日に発生したストライキで丘の上まで上がる交通手段が無くなってしまった。もう一つの観光地であるSugar Loafをゴンドラで登った。山頂からは市内を一望でき香港の景色と少し似ていた。バスガイドが、日本のバスツアーのような観光案内で、ボサノバで有名な「イパネマの娘」まで歌ってくれた。宿泊するホテルはイパネマビーチ沿いで、冬のため波は荒くビーチに人は少なかったが、暖かければのんびりできそうな良い所だった。International Trip最後の夜は、近代美術館でパーティ。もうパーティは何度やったかしれないが今回が最後で、卒業式に参加せずに帰国する同級生と別れを惜しんでいた。

2010年5月25日火曜日

Brazil (2日目)

サンパウロでの講演2日目は、3つのセッションが続く。1人目は、各種官庁の大臣を含む要職を歴任し、現在はブラジル最大の食糧企業のボードメンバを務めるPraini de Moraes氏。広大な国土を誇るブラジルでも、耕作可能地帯は7.5%ほどと少なく、今後増大する途上国向け食肉等の輸出市場の機会と課題を色々な数字を用いて紹介していた。食糧生産には、土地、水、太陽、資本、技術、そして起業家精神が不可欠とかで、ブラジルの農業の強みはそれら全てが揃っていることで、アフリカや潜在的競合となる他地域にはその幾つかが欠けているとの解説は分かりやすかった。講演後に中国への食肉輸出に関する2国間の通商問題について個人的に質問できる機会があったが、丁寧に解説していただいた。
2人目は、ビールメーカのAmbevの現役CEOだった。米国でMBAを取得し、M&Aを前線指揮して会社を大きく育てただけあり、マクロ的な市場環境と経営目標の中で、自社ブランドのポートフォリオを効果的にアピールしていた。消費財メーカらしくサッカーをモチーフにした広告ビデオも面白かった。
3人目は、国内第3位の商業銀行であるSantader銀行の現役CEO。SF10にも同社から一人、スポンサーで来ている他、ブラジル最大の銀行からも一人来ている。ABN Amro買収の話を含め同国の金融市場の具体的なコンテキストが聞けるかと期待していたが、講演はSustainabilityについてリーダシップ論的でやや概念的だった。最後の教訓はHave funと纏めるあたりはブラジルらしかった。同社の本社ビルは、LEED認証のグリーンビルとのことだったが、ブラジルまで来てわざわざ見学する機会があるとは思わなかった。自社へ人を迎える機会があったら、聴衆側の何を見たいかという期待によく配慮したいと思った。

2010年5月24日月曜日

Brazil (1日目)

Brazil企業訪問の1社目は、航空機メーカのエンブラエル(Embraer)。カナダのボンバルディア(Bombardier)とのWTO紛争パネルのケースを、コア授業のGlobal Econで扱ったこともあり、Fellowsの関心も高かった。経営幹部が数人そろって同社の経営状況、特に金融危機後の大幅な受注減にあわせた従業員削減の後、中型機で受注残が回復している点などを説明していた。Q&Aの応対を見る限り、国策企業らしい鷹揚な経営スタイルに感じた。韓国や中国の国産計画には興味を持っているようだったが、日本については特にコメントがなかった。ライン見学の最中に、何人かのFellowsから、なぜ日本は技術力があるのに航空機事業は成功できないのか、私に聞かれたが答えが出なかった。エンジンなど主要部品を海外メーカに握られ、すり合わせ型アーキテクチャでコモディティ化を計る、日本メーカの勝ちパターンが通用せず、ニーズにあわせた商品企画と販売力で勝負するしかない。かつてのYS11に続く、最近の経産省が助成する国産化事業も海外では認知度が高くないのは残念だが、真にグローバルな競争力をつけて生き残っていってほしい。
午後は、高原の避暑地に移動して、Ricardo Semler氏の広大な自宅を訪れる。ブラジルは資産家ファミリー企業を出身企業としてコモディティで成功するパターンが多いが、同氏もSemcoの元CEOでBiofuelで巨額の富を築いた。マネジメント関係の講演や著書で知られるカリスマ経営者でもあり、講演の内容も人生論に係る部分はかなり宗教的なアプローチで独特なものだった。人を基本にする経営スタイルだが、例えば採用プロセスは直感に頼るものとされており、Fellowsの中でも起業家を目指す人には評価が高かった一方で、大企業出身者にはやや非現実的な印象を持たれた。氏のご自宅は、見晴らしと風通しのよい高原の自然を活かした設計で、リビングの内装もベーシックカラーでシックに纏まっており、ドイツかスイス風の趣味の良さを感じさせた。

2010年5月22日土曜日

Brazil到着

ヨハネスブルグを発ち、大西洋を渡る10時間のフライトで、サンパウロに到着。交通渋滞がひどいと聞いていたが、日曜のためかさほどの混雑もなく、同市内のホテルに到着した。外出に不自由したヨハネスブルグと違い、サンパウロはホテル周辺を歩いてレストランを探すこともできるし、地下鉄も治安上の問題はないようだ。移動の自由を満喫できた一方で、言葉は英語が全く通じなくて至るところで難儀した。レストランのメニューも読めなくて、適当にランチセットを頼むしかないこともあったほど。初日の夜は、L-Labでサンパウロに3週間滞在した同級生の勧めで日本食レストランへ歩いて向かった。街のあちこちに日本語の姓と思われる店名の看板があり、特にサンパウロ周辺は日系移民が多い地域らしく、国全体で人口の1%近くを占めるほど。サンパウロ市周辺は観光資源はなく、オフ日は地元のマーケットを訪れる市内観光に参加した。

2010年5月21日金曜日

South Africa (4日目)

4日目は、朝から4つのセッションが続く。鉱山労働者の労働組合のリーダは、労働者の実態が政府統計ではいかに都合よく紹介されているかは指摘したうえで、実態としては30%を超える失業率の中で失業者の大半が黒人でしかも若者である点を問題としていた。組合リーダらしく、政府との交渉でも一歩も引かない力強さと論理的な説明力はなかなかのものだった。次に、来月開催のFIFAの運営体は、COOが来れない代理スピーカだったためもあり、好調なチケット売行きやスタジアムの準備状況など、やや表面的な紹介だった。続いて、通信事業者の社長は、途上国特有のモバイル主体の通信事情を紹介した。最後は、経済企画委員会の大臣が講演した。大臣の講演は、統計資料を基に財政、産業、教育と多面的な視点で同国の経済目標を示され、南アフリカのセッションを締めくくった。
講演後は、アフリカンマーケットで、アフリカ彫刻やみやげ物のショッピングを楽しんだ後、Moyo Lake Zooのレストランで南アフリカ最後の夜を祝うパーティだった。南アフリカに1週間滞在して、集中的に色々なリーダの講演を聞いて、ぼやけたアフリカ一般のイメージから、国としての色々な課題が有機的に結ぶ姿になったものの、国の現実的な実感は確とは得られなかった。能動的に、仕事で人に会ったわけでもなく、自分で手配して地図を片手に街中を歩いたわけでもないし、やはり慣れ親しんだアジアや米国とは根本的に違うためだろう。また仕事で南アフリカを訪問できる機会があるか分からないが、サハラ以南のアフリカとしては間違いなく成長著しい経済拠点であり、同国でお世話になった方々のためにも、今回の研修旅行で培った経験をぜひ役立てて恩返ししたい。

2010年5月20日木曜日

South Africa (3日目)

3日目は、Innovationパネルから。起業家支援センターがあり、Sky Car (空飛ぶ車)や、戦争地域用の義足を紹介するベンチャーもあり、技術自体は先進国と大差ないが、地域のニーズに応えたビジネスチャンスを狙っている。次は、Energy&Miningセッション。南アフリカはMining(鉱業)の産業比率は8%と高く、Energyの15%と合わせて主要産業になっている。大統領府の電力規制委員会のメンバーが講演した。同国は現在、世界でもっとも安く電力を生産でき周辺国に輸出しているが、大半を石炭に頼る発電事情を抱え、急激な電力ニーズの増大が予想されている。2028年までに2倍,50GW相当と言われるニーズを、どのようなエネルギーMixで構成すべきか(Coal/Nuclear/Alternative)、質問が多かった。私も講演後に、原子力政策の推進に向けた政治環境について質問したところ、国内にウラン鉱山を持つメリットがありながらも、核兵器保持計画を放棄した現在では、政治的な推進者はいなくなった。民間による経済性ベースの判断になるが、原子力発電は同国にとって高コストと見られているとのこと。同等規模のニーズがありながらも、中央政府の権限が強いベトナムなどとは事情が異なる印象を持った。また、同じく今でも石炭発電に頼る中国と比較しても、都市の空気汚染問題がさほど深刻化しておらず、GHG削減の環境面のプレッシャーもないため、これからしばらくも石炭発電に頼りそうだ。
午後は、アパルトヘイト博物館へ。19世紀後半のゴールドラッシュで突如、都市が誕生した歴史のビデオに続き、人種隔離政策の実態とそれを克服したマンデラ大統領の偉業を称える写真・映像展示を見学する。その後、実際の黒人居住区(Township)を訪れて、生活の様子を見学した。文字通り、生活区を強制的に隔離する現実に直面すると、人種問題が今でも社会経済のさまざまな面で影響しているルーツを実感させられる。

2010年5月19日水曜日

South Africa (2日目)

2日目は、ジャーナリストパネルから。現職大統領への批判を含む政治的な表現の自由が認められている点が何度か強調された。お隣のジンバブエなどでは考えられないことで、民主主義の基本ではあるが、いつ隣国から騒乱が飛び火しないとも限らない政治情勢の中でも、正しい情報の報道が国民にむしろ冷静さを生むようだ。次のClem Sunter氏は、ベストセラーを幾つか出している作家らしく、色々な国を皮肉るユーモアを交えながら、シナリオプランニングの活用例を紹介した。シナリオプランニングは、もとは軍事向けの応用で、仮想敵国の行動を予想した幾つかのシナリオを元にシミュレーション演習を重ねることで、緊急時の作戦運用や、長期的な兵器整備を計画するためのもの。ビジネス向けに応用されているが、あまり流行らないようだ。おそらく、現実のビジネスは複雑すぎるためで、パラメータを最大でも2個にせよとの氏のアドバイスだった。最後は、アフリカ最大の同国の証券取引市場のトップと、同じく最大の商業銀行のトップが並ぶ金融パネルだった。同国の金融サービスの洗練度の高さを強調していた。
終日セッションは隣接のホテル内で行われた。ヨハネスブルクは治安が悪いことで知られ、さすがに誰もホテルとその隣接するショッピングモールの敷地内(セキュリティスタッフがぞろぞろいて、敷地出入り口には武装警官が配備されている)から出ようとせず、レストランもバーも外国人向けにそろっているのだが、少し息が詰まるようだ。敷地中にいると、外見はアメリカにいるのと変わらない。ということもあり、全員でバス移動する文化イベントが夜は用意されており、Umojaのショーを見に行く。リズムに乗った民族ダンスに加えて、現代ミュージカル風に仕立ててあり面白かった。ロンドンや色々なところに出張講演しているほど有名なショーらしい。

2010年5月18日火曜日

South Africa (1日目)

最初の講演は、同国の経済政策を取り仕切った前大臣の予定だったが、大統領府に呼ばれたとかで講演者都合でキャンセルされた。南アフリカの日程は、出発直前まで明らかにされず混乱ぶりが伺われたが、到着後も講演者のキャンセル・変更や時間変更が多く、当日までバタバタしていた。大物の講演者を集めているためと、お国事情もあり仕方がない。ヨハネスブルク方面に戻って、政治都市Pretoriaからの車窓ツアー。この都市には、裁判所や主要な役所があり、周辺には古い高層アパートも並ぶも、白人が出て行ってしまった結果、ゴーストタウンに近い建物も少なくなく、やや緊張させられる。同市中央の広場も、アパルトヘイト中は白人の憩いの場だったそうだが、今はほとんどがが黒人ばかりである。ちなみに、Politically correctが徹底されるアメリカと違い、White, Blackと直接的に呼称することが慣例になっており、日本語でも同様に記載することにした。
次のスピーカは、SA Reserve Bank(中央銀行)総裁のGill Marcus女史。私のチームがホスト役だったが、対面して挨拶すると感じの良い方でありながら、講演とQ&Aセッションでは威風堂々としており、同国のマクロ的な経済事情を彼女のスタッフ達も交えながら、明快に解説してくれた。金融危機の影響も小さく、近年は通貨ランドも為替レートも比較的安定しており、一見、経済運営が好調のようだが、総量的なマクロ指標では見えにくい、質的な問題が山積している。まず、途上国と先進国の間の中発展国でありながら、経済格差が極端に大きい。端的に言えば、ごく一部の白人資産家と、大多数の黒人に分断されている。また、ジンバブエやモザンビークなど政情不安定な周辺国から大量の不法移民が流入し、人口の実態は統計値と大きくかけ離れている。さらに、年齢構成も10-30台が多く若いため、教育の改善が追いついていない。これが高い失業率に治安の悪さ、高いHIV率と負のループに陥り、国民の幸福度は、インド人の同級生をして、インドよりも悪いんじゃないかと言わしめるほどである。

2010年5月17日月曜日

South Africa 到着

ボストンを早朝に出発して、NYCまで4時間のバス旅を経て、さらに15時間のフライトでヨハネスブルクに到着。初めて訪問する国では、私はいつも走っている車を眺めて経済情勢を想像している。現地生産するトヨタや日本車が多いのはどこの国でも共通として、目だったのは小型車(1000-1500ccクラス)の割合が多く、さらにハッチバックタイプが多い。おそらく購買層が小型車にボリュームゾーンがあるためと、車が商用だったり生活の必要性によるものだろう。
到着日は長旅の疲れもあったが、野生動物の宝庫であるPilanesberg National Parkで、そのままサファリツアーに参加する。低木の草原がなだらかな丘に沿って広がる。野生のアフリカ象や、シマウマや鹿、ムース類の群れに加えて、サイの親子を見つけたりと、多くの草食動物が生息している。南アフリカは、観光に力を入れており、このNational Parkに隣接して、Sun Cityというラスベガス風の観光施設もあり、Gary Playerが設計した美しいゴルフコース(Lost City)もあるようだ。続くオフ日の夜はBoma BBQというイベントで、外でファイヤースペースを囲んで肉を食べる。これからも南アフリカ滞在中は、肉料理が続くことになる。

2010年5月14日金曜日

International Trip

Sloan Fellowsは、3つの全員参加の研修旅行が必修になっていて、費用もTuitionに含まれている。秋学期末のNYC Trip、春学期中間休みのCalifornia Tripは、毎年開催地が固定されているが、International Tripは毎年変わり10月,11月頃に行き先が発表される。昨年はインド&トルコだったが、今年は南アフリカ&ブラジルを、5/15-28の2週間かけて訪問する。両国とも日本からはもっとも遠い大陸・国を訪問できるいい機会になりそうだ。1年で色々詰まった忙しいSloan Fellowsプログラムらしく、旅行中の日程もとてもタイト。各界のリーダの講演を聞いたり、歴史博物館見学などの文化イベントがある他、夜な夜なDinnerパーティが開催され、卒業前にクラスメートと濃密な時間を過ごせるように工夫されている。

2010年5月11日火曜日

Redsox観戦

今日はRed Soxの試合を見に、Fenway Parkへ。少し寒かったが、松坂が先発して好投して、岡島が最後に締める最高の試合だった。私は隠れヤンキースファンだったのだが、ボストンの人はRed Soxが本当に好きで、話を合わせたり一緒にお決まりの応援歌を何度か歌うにつれて、何となくRed Soxファンになってきた。日本のMLB中継でも、ヤンキースから松井が抜けた影響は大きそうだ。一緒に観戦した台湾人も同じようで、王健民が今年は不調でこのまま引退したら、ヤンキースファンはかなり減るだろうとのこと。

15.977 Investment Management

15.977 Investment Managementは、MFS Investment元CEOでSloan卒業生のJeffrey L Shames教授が教える。MFSは、戦前からあるMutual Fundで、自社アナリストによる独自のファンダメンタル分析を武器に、世界中に投資している。何度かクラスに聴講に行く機会があった。今日のゲストスピーカは、Goldman Sachsのポートフォリオマネージャを経て、ヘッジファンドを創業した人。お手本にするハーバード大学基金(HMC)の実績をヒストリカルデータを使って解説していた。HMCは、金融危機で大きな損失(30%ロス)を出して、同様な運用スタイルを採るシンガポールのSWFなどにも否定的な見方も出ている。これまで色々な機会でHFの話を聞いたが、最初の頃こそヒストリカルデータと言われると簡単に信じてしまったが、行動ファイナンスや統計的な見方を学び、今では意図的なデータ操作をかなり読み取れるようになった。こうなると何を信じて投資すればよいか疑心暗鬼になるが、教授が個人投資家向けの3つのアドバイスとして話した内容が面白かった。何度か聞いたような話だが、投資の基本が詰っている。まず、投資へ回す金額は、ロスしても気にせず眠れる程度にすること。すなわち、バリュー投資は、一喜一憂して下手に動かず長期間で同じ投資スタイルを維持することが大切なので、それが精神的に可能な範囲で投資すること。次に、リスク許容度。人によって許容度は違い、例えば、生涯リターンを考慮して100-(年齢)のパーセントをリスク資産へ投資する。20歳の青年なら株式:債券=80:20で、80歳の老人なら20:80になる。最後に、簡単にできる分散投資はFree Lunchだからやらないのは損。ハイテク銘柄ばかり買えば、個々は優良企業でも、業界全体のリスクをまともに受けることになる。この3つが出来れば、手数料を払ってまでして投資信託などでベターオフできる機会は少ないと言える。

2010年5月7日金曜日

15.268 Choice Points (Final class)

Sloan Fellows向け選択科目Choice Pointsの最終講義。イプセンの「人形の家」をテーマに、個人や家族とコミュニティの価値観を話しあう。妻の夫からの自立がテーマだったこともあり、いつものようにパートナが積極的に発言するクラスだった。HBSでは、クラスを見学に来たパートナや両親を、スタンディングオベーションで迎え、通常のゲスト以上に歓迎される。一方、MITでは親族の見学はほぼ無く、Choice Pointsだけは例外的に、パートナが毎回参加して子供連れで来ることもある珍しいクラス。我が家も、産まれて2週間になる長女を連れて出席した。将来、ものごころが付いたときに、初めて出席したクラスがMITだったと子供が聞けば、少し世界観も広がるかなと期待している。
夕方は、台湾人のクラスメートのご自宅にお邪魔し、産後の快復に良いとされる麻油鶏をいただく。1年で色々な国の家族を招待したり招かれたりして、ミッドキャリアプログラムらしい家族づきあいを楽しめた。

2010年5月6日木曜日

15.665 Power & Negotiation (Final Presen)

Power & Negotiationのチーム発表会。ペーパで学んだ成果を、クラスに向けてレクチャーするというもので、各チームとも工夫を凝らしたロールプレイを楽しくやっていた。MBAのクラスは本当にロールプレイが大好きなようで、みんな役になりきっている。イランの米国大使館人質事件の交渉を模擬したチームは、衣装から照明まで凝って、人質役のエクストラまでどこからか用意してきて、もはや演劇の域に達していた。私のチームも、当日の朝7:30からミーティングして小道具を調達する力の入れようで、US Healthcare Reformの交渉を、民主党と共和党役に分かれてコミカルに演じた。

2010年5月5日水曜日

15.371 i-Teams (final paper)

15.371 i-TeamsのFaculty向け報告会。チームごとにFiona Murray教授他から40分ずつフィードバックセッションを受ける。私の分担は、要素技術の強み・弱みに基づいて、狙うべきアプリケーションを分析した部分だった。Fionaからは、プレゼンの流れについて細かく色々コメントがあった。彼女のアプローチは、シリコンバレー的なピッチスタイルとは違い、起業の成功確率を上げるロジックをシステム化したもので、大企業の中で数多くのプロジェクトをハンドルする視点と似ている。プロジェクトは医療分野がターゲットで、病名などの英語の専門用語や米国特有の複雑な保険システムに手を焼いたが、新技術に対する医者の反応など新鮮な学びがあった。

2010年5月4日火曜日

15.913/915 Sustainability Lab (S-Lab)

サンフランシスコのリサイクル企業をホストとするS-Lab。今週から来週まで、プレゼン、ペーパ、ポスターセッションと成果発表が続く。3材料(プラスティック、紙、石膏ボード)のリサイクル率を上げるために、各材料のライフサイクル分析と市場分析を踏まえて施策を提案した。
S-Labは、他のプロジェクト授業と比較して、半期6週間しかなく短い。業界レポートを読み専門家のインタビューを設定して、ようやく業界動向にリアリティを感じ始めたところで終わってしまった感がある。それでも最後には、Facultyとホスト企業が納得できる成果になったのは、都市計画工学科のチームメートがThesisが忙しいからと途中でDropして、3人チームになった分、一人1材料を引き受けてコミットは強かったからだろう。
担当した紙のリサイクルは、学期中にJ. Stermanがシステムダイナミクスで描いた環境問題の縮図のようだった。森林資源の希少化が進む中、中国など経済成長による需要拡大に応える為、古紙再利用の政策や化学工業の技術進歩でサスティナビリティを目指す努力が続けられていた。紙の製造には、木材と水を大量に消費する。Paper calculatorというWebサイトによると、A4で500枚(10kg)の紙の製造には、30kgの木材と800Lの廃水を要するというから驚きだ。