2010年3月10日水曜日

HBS1570 DBIC TSMC

DBICのケースで初めて、台湾企業を取り上げる。相変わらずビジネススクールらしくないというか、台湾の政治経済の歴史背景を纏めたケースが別に一本用意されている。授業は、Is Taiwan part of China?という極めて政治的な質問を、各国の学生に答えさせ、アメリカ人学生にもその微妙な本音と建前を理解させるところから始まる。中国の学生からは、台湾と中国は言葉や食べ物を含めて文化も一緒だから自然と一つになるべきという、大陸で教育を受けた人なら誰に聞いても全く同じ返事になる。一方、台湾の歴代首相の大陸政策の変遷を見ると、台湾におけるChinaという単語の意味が、最近では大陸側という地理的な意味を持つに過ぎなくなりつつある。
政治問題がある中、台湾企業の大陸ビジネスは、1987年に戒厳令が解除されて以来、地理的に近い福建省や広東省から進出が進んだ。それでも、半導体業界は、最先端技術の輸出規制の影響で中国で立ち上がりが遅い業種の一つ。いまやFoundary企業としては世界シェアの半分近くを握る台湾のTSMCが、2003年に上海工場を発表した当時は非常に注目され、一つの転機だった。TSMCの母体は、台湾の数々のIT企業の成功の元になった政府系の研究機関ITRIで、Texas InstrumentからCEOにMorris Changを招いて、新竹に第一工場を1987年に立ち上げた。米国西海岸Qualcomm, nVidiaなどから製造を請負うFoundaryビジネスの先駆けで規模を急拡大し、新竹に続き台南にも大きなFabがある。上海工場は、規制の影響で古いプロセスと中古の製造装置しか使えなかったものの、新竹からFab移転が進み生産規模では主力になりつつある。TSMCのケースによると、半導体は製造費に占める労働コストの割合が8%と小さく、大陸進出のメリットは顧客のサプライチェーンに地理的に近いこと。また、中国の優秀な技術者の確保と、将来の中国Fablessメーカの立ち上がりへの先行投資でもあるようだ。
経済的な利点があるとはいえ、上海進出の理由を聞かれたTSMCのある経営者が"To get out of Taiwan"と答えたという話には、耳を疑った。NYSE上場企業とはいえ、規制の厳しい本国への容赦ない姿勢は、日本企業には見られない。日本の半導体メーカは、前工程工場の海外立地はむしろ縮小傾向にある。これは、最近は最先端プロセスへの集中投資が主になって、技術流出を防ぎつつ、国内の顧客と設計部隊との連携に重きを置くためと言われているが、ガラパコス化という批判も一方ではある。旧世代Fabの海外移転は、一企業としては多少の経済合理性があるかもしれないが、国としてはGDPが海外に移りマイナス。世界的に競争力のある産業が他に育たないと、その雇用を代替できない。日本と台湾はその点で今や共通の課題を抱えており、台湾企業の年輩の経営者と話すとよく心配していたのを思い出した。

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